2007年8月31日金曜日

北の国


期待に胸をふくらませつつオスロ着。 物価・宿の高さに身動きが取れない私達。
街中のタクシーはほとんどベンツです。乗ってしまったら、いったいいくらくらいの支払いになるんでしょう...。
とりあえず。宿へ向かいます。
今日の宿は男性女性で部屋が分かれます。同じ部屋に福岡から来た女性がいました。やっぱり、ほっとします。

2007年8月30日木曜日

別れ。

今日でアメリカともさよなら。
ここでやっておきたいこと。腕時計の修理。日本を出発して4日目くらいにすでに動かなくなっていました。私達同様、ラスベガスの暑さにショックを受けたのかも。後で調べるとラスベガスは43℃まで気温が上がっていたようです。40℃超は普通のようです。暑かったはずです。そして、腕時計の電池交換をしてもらい無事復活です。時計がないのはさすがに不安です。
そして、ニューアーク空港からコペンハーゲン経由でノルウェー・オスロへ向かいます。かなり本気で別れを惜しみつつ飛行機に乗りました。
利用するのはスカンジナビア航空です。いきなり音楽が流れています。なんと表現していいのかわかりませんが、無印良品のお店で流れているようなリラックス専用音楽といったところです。機内もすでに、デザイン国家の空気が漂っています。私達はいちいち「おしゃれ!」の連発です。北欧気分が盛り上がってきたところで窓の外を見ると、そこはまだアメリカ。さっきまであんなに惜しんでいたのにすっかり北欧気分です。
そして席の前には各自、テレビモニターがついていて、なんとゲームまでできます!ゲームとは縁のない私達までもとりこにさせてしまいました。機内食もまずまず。順調です。
今日の写真。
上。私達の(超短期)アパートメント。
下。スカンジナビア航空のゲームのコントローラー。シートの横についています。

2007年8月29日水曜日

日常空間美術館


今日もいつも通り街へ出る。そして歩く。歩く。しかし、いつものように足取り軽くいきません。運動不足な私達に陰りが見えてきました。
ひとまず、ベーグル屋で元気を付けます。クリームチーズ。挟み過ぎです。これもアメリカ流でしょうか。パワーが出たような胃がもたれたような。
そんな足で到着。ニューヨーク近代美術館・MoMAです。
‘近代‘と呼ばれていていますが‘現代‘の作品が充実していました。予想以上のコレクションの量に、やはり時間配分を間違ってしまいました。いつものことです。そして最後は急ぎ足です。
それにしても素敵な空間です。開放的です。ガラスに納められているわけでもなく、立ち入り禁止のラインがあるわけでもなく、手で触れられるところに作品があります。なんとなく匂ってみたりします。写真撮影もOK。スケッチもOK。さらに、エレベーターホールや階段の踊り場にさり気なく作品が展示されていたりします。ベビーカー乗り入れはもちろん、小学生くらいの子供が作品を見ながらノートに何か書いていたり。とにかく美術館全体が自然体です。鑑賞というより日常なかんじです。良い空気です。
今回の旅行中、美術館は程々に。と思っていましたが、昨日今日とさすがにスイッチが入ってしまいました。あとちょっとニューヨークに滞在して満喫したい。ところですが、明日はノルウェーに向けて出発です。ノルウェーは寒いようです。体力温存しておかないと。
というわけで、残念ながらニューヨーカー気分もあとわずかとなってしまいました。

2007年8月28日火曜日

メタボ注意!


ニューヨークの街中には整備された公園が所々あります。しかも緑が豊かです。今日はセントラル・パークへ行きました。広いです。子供が遊べる所、ちょっとした球場、池、動物園など。楽しみ方は様々です。そしてきれいに手入れがされています。みんなが寝転んで日焼けをしているシープ・メドウという一帯はとにかく芝生がふかふかです。フリスビーをしている人たちがいます。水着姿の人たちが寝転んでいます。ココは公園ですけど。みんなの気合を感じます。私達も寝転んでみましたが、どこかぎこちなくサマになりません。そして、あちこちでリスを見かけます。かわいいです。子供達も楽しそうです。近くにこんな公園があるニューヨーカーが羨ましいですね。
それから、ニューヨーク近代美術館MoMAへ向かいました。見事に休館日でした。気を取り直して、チェルシー地区のギャラリーを目指しました。昔の倉庫街にギャラリーが集まり、そのシンプルな工業的な雰囲気の倉庫を改装して無料で公開されています。ところが大半のギャラリーの入り口に張り紙がしてあり閉まっています。どうやら、夏休みだとか展示品の入れ替え時期のようです。かろうじて開いているいくつかのギャラリーを見てまわりました。気に入ったギャラリーがありました。こういったことに興味無し。だった旦那が、「良いね~!欲しいね~!」と言い始めました。お金持ちになったら、ニューヨークに作品を買いに来ようね。と言って帰路につきました。
ニューヨークでの食べ物のヒットは、屋台で売られているジャイロという食べ物です。タンドリーチキンとレタス・トマトがピタパンに巻かれています。3.5~4ドルくらいですがとても満足できます。
人種が多いだけに食べ物も様々です。それでも、ハンバーガー・ピザ・ドーナツの類いというのは人気があるようです。見る限り、メタボ率もとても高いです。そんな中、日本食・アジアレストランはなかなか人気の傾向のようです。良い傾向です。 私達もアメリカンフードに飲み込まれないように注意です。

2007年8月27日月曜日

ニューヨーク カレー横丁


ラスベガスでのホステルとは一転して、ニューヨークでの宿泊はとても快適です。なんとアパートメント暮 らしです。とは言っても4泊5日の超短期ニューヨーカー気取りですけど。立地はチェルシー地区。マンハッタンの高層ビル群とは反対の歴史保存地区周辺です。ニューヨーカーとしては望むところです。窓からの眺めも、気分を盛り上げてくれます。部屋はひとり暮らし用コンパクトワンルームといったところですが、今のところハードスケジュールな私達にとって、帰る「家」があるというのは気分的に落ち着きます。旦那はすでに「ここを出るの、寂しいね。」と言っています。
ニューヨークで始めにした事。コインランドリーで洗濯です。本場ニューヨーカーのミス達に交じって。嬉しいです。
それから、地下鉄に乗ってグラウンド・ゼロに向かいます。切符の買い方も少しずつスムーズになってきました。
そして、まだ鮮烈な記憶の2001年9月11日のあの跡地に到着です。2010年代完成予定のビル再建工事中でした。私はそのテロの時、テレビから聞こえる悲痛な中継の声で目が覚めたのを覚えています。とてもショックな出来事ではありましたが、どこかで遠くの国の...と無意識に感じていたはずです。映画でも見ているような気分でした。国籍や住む所が違えば100%理解できないのも無理はないはずです。でも、その周辺一帯を目の当たりにすると、想像することができます。想像する習慣。今回の旅の貴重な財産になりそうです。
それから、チャイナタウンを過ぎてリトルイタリーに入ります。このあたりの人種の変わりようはおもしろいです。さっきまで中国語が飛び交っていたかと思うと、急にイタリア語に変わります。街を歩いて気付きましたが、みんなニューヨークに住んでいながら母国語で話しています。ある意味住みやすい街なのかも。
食生活がニューヨーカーになれない私達は、カレー・ロウ(カレー横丁?)の一軒でインドカレーを食し、食べ物はやっぱりアジア圏かなと満足気に「家」へ帰りました。

2007年8月26日日曜日

世界最強


ニューヨークへ向かう。ラスベガスからトランジットの為フィラデルフィアへ。その飛行機でアーネスト・ホーストに出会う。世界最強の男は笑顔がとてもキュートでした。
そして、今日の一枚。ラスベガス滞在中、ある意味何よりも熱いスポットだったかも。私達の宿泊したホステルです。予約した時は確か、en sweetと表示していたような。なのに、ただのドミトリーの一角を間仕切りしたような空間でした。

2007年8月25日土曜日

アメリカンな感覚


グランドキャニオンとフーバーダム、バスツアーに参加しました。朝6:00から22:30までの過酷なツアーですが中身の濃いものでした。運転手の陽気なおじさんが延々と説明をしながらバスは進んで行きますが、残念ながらそのガイドを理解できませんでした。でもあまりにも響いた光景だったので、後からこっそり調べてみました。
とにかくすべてのスケールが大きいです。バスはルート66を走り、いつのまにか360度砂漠地帯になります。地平線だらけです。
グランドキャニオンでは2.8km程歩きました。高原が侵食されてできた峡谷なので谷の淵を歩いているということになります。雄大さに驚きます。どこを見ても峡谷です。もちろん街など見えません。そして歩いていると波の音がします。周りは砂漠に囲まれているのに。と思っていると、なんと谷を流れる風の音でした。ちょっとぞっとしました。
フーバーダム。大きいです。この貯水量は400億㌧。日本のすべてのダムを合わせても250億㌧だそうです。いやアメリカは広いから。と思いたいところですが、実際目の当たりにすると。この砂漠地帯に!この大きなダムを作った!というのが想像を絶します。このダムの建設は熱射病による122人の死も伴っているそうです。
そして、ラスベガスのきらびやかな光景と結びつきました。巨大な創造・労力の対価としてあれくらいのきらびやかさがないと!と思えます。農耕民族の晴耕雨読な性質とは訳が違うようです。

2007年8月24日金曜日

エンターテイメント!

アツイ土地に降り立ってしまいました。
サンフランシスコからラスベガスへの移動です。映画「ラスベガスをやっつけろ」で、ジョニー・デップとベネチオ・デル・トロがアメリカの豊かな可能性の証明の為に向かった地です。・・・といっても所詮映画の話ですけど。
自由の女神、スフィンクス、ピラミッド、ギリシャ彫刻など世界の名物を街中に思いつくまま集めてしまった感です。そして、夜になると街全体がネオンできらびやかになります。さらに、かなり派手な水のショウと光のショウを街中で見せてくれます。もちろんただです。来てくれた観光客は太っ腹に迎えます。気づけば辺りは人であふれています。昼間は出歩かないのが、この街の楽しみ方のようです。エネルギーは夜にとっておかないと。
昼間の暑さは。息を吸う度に、焼け付いた空気の塊が口の中に入ってきます。サウナの香ばしい匂いに似ています。 とにかく今までに経験した事の無い暑さなのです。
どうしてこんなところに街をつくってしまった。と思いたいところですが、そこがアメリカの可能性のようです。次の日のグランドキャニオンツアーで確信しました。

2007年8月23日木曜日

ものすごく坂の街

昨日にましてさわやかな朝の空気の中。AT&T Parkをめざして歩きました。
その道のりは坂道の連続。太平洋と湾に囲まれた街なので、海まで続くまっすぐな坂道というという光景をよく見ますが、この景色がとても素敵です。港の近くは建物も統一されていて、町並みも揃っています。ヒッピーを生んだ街だけあって、ゆる~い空気が漂っています。通りすぎる街の人達も笑顔で挨拶してくれたり、声をかけたりしてくれます。地中海性気候も快適だし、なんて良い街!移住する?などと言っている間に、街の匂いが変わり、中華街に入りました。アジア以外では最大規模の中華街らしいです。そうなると私達は、やっぱりアジア!落ち着くよね。なんて、あっさり。
そして、AT&T Park。知っている人は知っている。私は知りませんでしたが、サンフランシスコ・ジャイアンツの本拠地です。メジャーリーグと言えばイチロー。という程度の興味しかありませんが、このスタジアムは開放的でダイナミックに急傾斜な観客席で、ホームランボールが海に落ちるという立地も魅力的です。昨日すでにアイ・ラブ・サンフランシスコな私は、うっかりジャイアンツの応援をしてきました。
スタジアムの往復で、7,8km四方をひたすら歩きまわりました。その間に、何度も町並みが変わりました。町並みが変われば人種も変わります。ダウンタウンのような地区では、目を合わせてはいけないような人達も多く、疲れているはずなのに急ぎ足で歩いていました。気がつけばきつい道のりだったはずの坂の上です。
ゆるいだけではない、また別の面でした。

2007年8月22日水曜日

脱!エコノミー症候群


まず。福岡空港での見送り人は、約20年来の付き合いの友達でした。彼女は10年程前に、アフリカ・ケニアへ2,3ヶ月程行ってしまいました。というのも、動物好きが高じて。その時、見送りに行った私の手土産が頑張って作ったスコーンでした。彼女はケニア行きの飛行機の中で、涙を流しながらスコーンを食べたそうです。嬉しさというよりも、おそらく後悔と寂しさの涙です。その彼女が今回持って来てくれた手土産の中身は...。なんだか嬉しくなりました。
私達の旅のお祝いはスコーンとなってしまったのです。
そしてやっぱり、あわただしく出発。 名古屋へ行くのに、パスポートを準備していました。
名古屋からサンフランシスコへ。その時。なんともラッキーな事にビジネスクラスへ格上げされました。すでにアイ・ラブ・サンフランシスコ!上々です。そして、機上とは思えないもてなしを受けながら到着。
日付変更線を越え、時間をさかのぼること17時間。サンフランシスコはとても!日差しが明るいです。
空港から電車に乗り換え、バスに乗り換える為にやっと初めて外の空気に触れた時。さらっっっっさらの空気にびっくりしました。視覚と体感のイメージのギャップがあまりにも違います。
そして、今日のホステルは。入国審査の時に腰の引けた私を和ませてくれた係りのおじさんの言うとおり、素晴らしい所に建っています。ゴールデンゲートブリッジが見渡せる丘の上です。予定外の王道観光地からの出発です。

旅立ち

とうとうXデーがきてきまいました。
昨日、最終的な荷物詰めをして、その重たさに吐き気をもよおしました。
日本での最後の夜は、Rの発音練習で幕を閉じました。
今、空港です。
行ってきます!

2007年8月20日月曜日

家族それぞれの反応

5年程前にベトナムに行った時。日本で、あわや捜索願いが出されるところでした。もちろん 私の捜索願いです。
急きょ決めた旅行でもあり、2週間弱という期間が軽い気持ちにもさせ、前もって家族に話さずに飛び立ってしまいました。一人旅というのが、なんとなく心配させそうで言い辛くもありました。今思えば、身勝手極まりないです。
住まいは別々で普段から頻繁に連絡をとっていたわけでもないので、2週間くらい大丈夫だろうと思っていたのが甘かったようです。
親としては、連絡がとれないので捜索願いを出そうか。部屋で死んでいるんじゃないかと大心配。大家さんまで呼び出され。そこへベトナムから戻った私がひょっこり現れてしまいました。大家さんと親と。その状況を飲み込むのに時間がかかりました。大変大迷惑な娘です。
そんな過去を踏まえなくても、今回、約半年の旅となると、やはり家族にもそれなりの説明らしきものが必要です。
そんな旅がしたい!と羨ましがる人。勉強してこい!と後押ししてくれる人。とにかく心配する人。反応はそれぞれです。
羨ましがる人には「そうでしょ。今しか行けないしね。でしょでしょ。」と、相手の気持ちに乗っかってさらに羨ましい気持ちをあおり、旅立ち甲斐を感じます。
後押ししてくれる人には、どこどこのなになにはこれこれで...と具体的な話をすると「ほぉほぉ」とさらに納得してくれます。そして、各国の本来の姿を感じて今後の日本の未来を...と話が大きくなりすぎてしまい、心地よい重みを背負わされます。ありがたい事です。
心配する人には。心配をかけて申し訳ない気持ちを十分に伝えます。実際、申し訳ないです。でも、今行くべきだという事を前面に出して説明します。もちろん、危険なモノには近寄らないという前提で。そして、‘羨ましがる人‘からの協力を得て「大丈夫だから!」と言ってもらいます。
こうしてみんなに話をして思ったのは、やはり‘今行く‘大切さです。もともと計画的だったわけではなく、自然の流れで今になったわけですけど。でもとても良い時期だと思います。今まで30年程生きてきて、それなりに少しずつ熟しているつもりです。もちろんこれからも熟していくはずです。熟する程に、旅先で感じ得るものは大きいかとは思います。でも熟しすぎると、半年の旅をするには様々な問題が出てきそうです。たとえば、体力の問題であったり、家族が増える事だったり、帰ってからの社会復帰だったり。
というわけで、‘今‘はとても良い時期だと思っています。若さと熟加減のバランスが良い。と、今は思っているけど、40歳くらいになっても同じように思ったりするものなのかも。
そしてもうひとつ。国外はやはり遠いです。距離だけでなく気持ちの上でも。だから心配されるわけですけど。
でも、まさに世界はつながっています。と思っています。インターネットという素晴らしいもので。
こうしてブログを更新するのが、日本であれドイツであれモロッコであれ、日本で見てくれる人たちは毎回同じように見れるわけです。なんだか距離感がマヒしそうです。そしてそのおかげで、私達が今どこにいるのかをほぼリアルタイムで伝える事ができます。(頑張って更新していれば...)さらに、私達の姿を写真で伝えられるかもしれません。
だから、心配してくれる人たちが少しでも安心してくれたらと思います。そして行って良かったねと言ってもらえたら、行った甲斐も倍増です。
その為にもブログの更新はちゃんと続けたいです。私達夫婦にとっては、結構大変な事のような気もしますが。
今回の旅の目的は?とよく聞かれますが、絶対的なものがあるわけではありません。ただ、たくさんのモノを見て感じたいです。でも、旅の目的はブログだ。と言っても過言ではない、と今思いつきました。間違いなく言いすぎですけど。

2007年8月9日木曜日

世界一周の厚み

航空券が手元に届きました。厚いです。厚すぎて二冊になってしまったようです。合わせて1cm弱。
これを最後まで責任もって持ち歩くとなると取り扱い注意です。一番下のチケットは最後まで私達と同行。きっとよれよれです。