2007年9月30日日曜日

贅沢です。


ランスには街の中心地の近くに大御所のシャンパン・カーヴがいくつかあります。歩いて行ける範囲です。
初心者かつ言葉がわからない私達は、日本語の案内があるというパイパー・エイドシック社の見学に行きました。カートに乗って蔵の中を進みます。シャンパンの歴史や製造方法などを日本語ガイダンスで聞きながら進みます。情緒に欠けるというよな意見で賛否両論のようです。そうは言ってもちょっとしたアトラクション感覚です。なので楽しくなりました。暗い蔵の中を通りながら、音響やライトでいろいろな演出をしてくれます。たとえば、発酵する音が聞こえてきたり自分達がシャンパンそのものになりボトルの口から今出ます、といったかんじの演出です。かと思えば、フラッシュをあびせられ鏡の間へ送り込まれると、パイパーを愛する著名人の映像が次々と映し出されます。お祝いには欠かせないシャンパンならではのパーティ会場のようです。そこでカートが一回転くるっとまわってフラッシュもたかれ続けます。まわりには誰もいないのに恥ずかしくなってしまいました。
それから、最後にシャンパンの試飲です。ちょっと緊張してしまう私達に対してもクールビズスタイルのムッシュが丁寧に説明までしてくれました。なので、かっこいいバーで3杯のシャンパンを試飲というより、贅沢な気分で味わってきました。

2007年9月29日土曜日

大聖堂


昨日はブログ更新の後、同じホステルに泊まっていた日本の大学生とゆっくりと飲みながら過ごしました。もちろん手に入れたばかりのワインです。
そんな夜だったので今日の朝はばたばたと準備をして、ランスまで移動です。贅沢にもTGVに乗ってしまいました。
ランスと言えば、の大聖堂はやはりとても立派でした。大聖堂と言われるものはたくさんありますが、素人目に見ても完成度が高いものは感じるものが違います。有名なものにはそれなりの理由があるということのようです。見たり聞いたり食べたりするものすべてにおいてですが、知識がなければなおさら頂点のものに触れてみるほうが良いのかもしれません。「よくわからないけど、なんかすごい!」といったかんじで。
というわけで、明日はシャンパンの蔵を訪れる予定です。スパークリングワインの頂点です。

2007年9月28日金曜日

やっぱりワインです。


なぜストラスブールへ向かったのか?ランスまでの良い経由地点がなかったからというのもありますが。アルザス地方、ワインの産地という事はひとつの目的でもあります。
次の目的地ランスではシャンパーニュの蔵へ行ってみたいという想いもあり、まずは練習。という事で、ぶどう畑を目指します。本当に何の情報があるというわけでもなくとにかく畑の方角を目指しました。そうすると奇跡的にぶどう畑が現れます。そして、VIN・CAVEの文字に沿って歩くとぶどうの匂いが漂う小さな醸造所がありました。あまり観光地化されていないような所です。温かく迎え入れられテイスティングまでさせてもらいました。私達のために新しくワインをあけてくれました。感激です。なので、調子に乗ってワインを2本買ってしまいました。最後に「メルシィボクー」と頑張って言ってみると、親切に接してくれたお姉さんは顔をくしゃくしゃにして笑ってくれました。フランス語圏内突入です。
それから、ぶどう畑散策です。あたりまえですがぶどうの木が斜面にきちんと整列して並んでいます。収穫は終わっていますが、少しだけ残してある実があります。その中からちょっと拝借しました。おそらく、ピノ・ブランとピノ・グリスと判断しました。ぶどう畑の真ん中で食べるからこそ美味しいようです。
今後、これまでに行ったところなどをテレビや雑誌で見る度に、「ああ、ここで○○○だったな~」と思い出すはずです。すでに母は帰国後に、ミュンヘンのオクトーバーフェスト(ビールの祭典)のニュースをテレビで見て、「ここへ行ったんだ!」と思ったそうです。そんなかんじで、これから世界各地のニュースを見るのが楽しみになりそうです。もちろん食べ物に関しても同じです。特に産地が重要なワインは今後が楽しみです。ワインについての知識があるわけではありませんが、訪れたことのある土地のワインという事であれば飲んだ時の気分が違うはずです。「あぁあそこでね...」といったかんじで。今後、より深い楽しみを得ることができそうです。でも何よりも、現地で現地のワインを試飲したときが一番最高のときなのかもしれません。

2007年9月27日木曜日

アムスでも中秋の名月


朝5時、知らない地へ降立ってしまいました。嫌な予感が当たってしまいました。目的地ストラスブールに間違いはないようですが、勝手に到着地と決めていた駅らしいものはありません。何もないところに放り出された気分です。外はまだ暗く寒く、しかも雨。到着したときの雨というのは、その街の第一印象を大きく左右してしまいます。この街に対して特におもいいれのない私には結構なダメージです。
今回、初のバス移動。しかも夜の移動。こんな結果です。バスの移動は比較的安く、夜の長距離移動となると宿代も浮くので試しに一度の挑戦とういわけです。しかし情報量が少ない私達にとっては得策というほどではありません。しかしなんといっても安いのでこれからもお世話になる予定です。ただ夜の移動は生活のリズムが狂ってしまうので、どんなベッドであろうと夜は動かないベッドで眠るべきかなと学びました。
そしてもちろん国境越えもバスでしたが、特に何事も起こりませんでした。オランダからベルギーを通ってフランスへ入りますが、パスポートの提示さえありません。アムステルダムを出る時に、バスの入り口にドラッグの絵が描かれた注意書きの紙が張ってありました。国外持ち出しについてかと思われ、さぞかし念入りなチェックが入るのかと想像を張り巡らせていましたがスルーパスです。ただのバス移動のみでした。
それからちょうど出発前に’中秋の名月。お団子で月見。’という、道中では忘れがちな風情のあるメールが友人から届きました。移動中、バスの中から見た月はとても大きく立派なものでした。私達の月見のともは。お団子を入手するのは困難なので、チャレンジャー精神で購入した現地の一見チョコレート風菓子とビールで月見です。こちらのほうでも月を愛でる習慣はあるのでしょうか。日本の文化再確認です。日本語には季節気候天候をきれいに表現できる言葉がたくさんあります。奥が深そうです。そんな辞書があったら手に入れたいものです。

2007年9月25日火曜日

雨です


今日も雨です。アムステルダムでは雨に降られています。
私立近代美術館へ行きました。あいにく改装中で一部の作品しか展示されていません。入場料は半額です。雑誌などでしか知ることができなかった、フルクサスというムーブメントに関しての作品がいくつかありました。なかなかお目にかかれないはずなので運が良いです。しかし感想というと。いまいち良くわかりません。
それからついつい、毛糸の帽子を買ってしまいました。寒さと身だしなみ手抜き対策です。相部屋だと身だしなみに手間をかけるスペースもないので。そして寒さ。アムステルダムに着いた日は快晴で待ち行く人はノースリーブ姿だったのに、雨になると一気に冬支度です。というわけで、言い訳ではないけど帽子を買いました。
写真の中の屋根の端、フックがついています。建物の上部が道路側に傾いていて、このフックにひもを通して家具などを上の階に上げるのだそうです。入り口のドアが狭いからです。

2007年9月24日月曜日

これも大事なこと

雨です。
なのでというわけでもないですが、アムステルダムのあとの目的地を決めます。それと、これまでの反省会です。

2007年9月23日日曜日

フリーダム!


大自然も良いですが、やはり街は楽しいです。ニューヨークに続きこの街は歩けば何かが起こりそうな予感がします。
オランダ・アムステルダムへ着きました。街、人が明るい雰囲気です。交差するほど運河が多いです。水のある風景は心地良いです。そんなに大きい街でもなさそうです。少し郊外へ行けば風車なんかがあるようです。街並みも古い教会や石畳有りと、いたってヨーロッパ風です。重厚過ぎずかっこいいです。観光客は優雅に運河クルーズをしています。
そんな街中で。薄暗くなると下着姿のお姉さんがガラス越しに誘惑してきます。昔ながらのヨーロピアンな建物、ボルドーのビロードカーテンで飾られたベッド付き個室で美しいお姉さんと二人きりになれます。飾り窓地区です。公娼地区というだけにおおやけのようです。値段交渉がOKであれば、ビロードのカーテンが閉められます。その光景に観光客も釘付けです。ショウでもみているような感覚になります。その1つ隣の通りは中華街だったりします。
所々であやしい煙の匂いが漂ってきます。ショウウィンドウにマッシュルームと書かれています。そして、この街は歩いている人もセンス良いです。男性がロングブーツを履きこなしていたりします。ゲイ&レズビアンインフォメーションという所もありました。アンネ・フランクの家もあります。すべてが入り混じっています。フリーダムです。
歩くだけで、明日も何かが起こりそうです。
写真下は、運河の橋の上の光景です。ミニ観覧車が回っているそばで、恋人達がくつろいでいます。ビーズクッションのようなものにがねころんでいたりいます。車は通らないんでしょうか?これも街の中です。

2007年9月22日土曜日

祝1ヶ月


親切にカメラの説明をしてくれたお兄さんも、とても良い街だけどドラッグ...ね。と言っていた街、オランダ・アムステルダムが次の目的地です。
しかし週末は宿泊料金が高いのでデュッセルドルフ経由で行く事にしました。
ここへ来て初めて日本人街らしきところを見ました。中華街なんかとは比べものにならないほど控えめにお店が並んでいます。日本人相手の本屋がありますが、日本人に混じってこちらの人もいます。日本が好きな人達のようです。髪の毛は赤だったり青だったりします。ファッションも独特です。その中の一人は日本のコミック「ワンピース」を買っていきました。写真を撮ったり、日本のアニメ好きのようです。やはりこのあたりが日本のカルチャーのようです。
今日は久しぶりにネットフリーのホステルです。しかもまわりの年齢層がわりと高く人種も程よく入り混じっていて、ロビーでかなり心地よく過ごせます。 
そして、今日でちょうど一ヶ月が経ちました。アメリカでの出来事がまさか1ヶ月前の事とは思えません。毎日良い事も良くない事も多くありすぎて、今までの感覚からすると1ヶ月の出来事の量ではありません。ちょっと記憶の感覚が狂ってきます。これから4ヶ月ほどありますが、このままだと記憶がついていけるか心配になってきます。

2007年9月21日金曜日

頑張る日本人


ボーフム。という街にいます。せっかくなのでサッカーを見に来ました。VfLボーフムというチームに日本人はいないようですが、対戦相手としてやってくるアイントラハト・フランクフルトには高原選手と稲本選手が所属しています。ぜひ話に聞くサッカーのサポーターの熱狂ぶりをみてみたいと思いました。
しかし、あまりにも情報が少なく、本当にこの街で試合があるのか、ここが本拠地で間違いないのか、スタジアムはどこ?みたいにかなり曖昧な状況で来てしまいました。こんな時に限って頼みの綱の情報源、ネット接続がうまくいかなかったりします。カメラは壊れているし、街は静かで人通り少なくサッカーがあるような気配は感じられず。重たい足取りでひとまず動き始めました。
なんとかチケットを手にいれました。となるとやはりカメラが重要になってきます。なので買いました。
すると、少しずつ人が街にでてき始めました。ユニフォームやチームのマフラーを巻いた人達がビール瓶を片手に面白いように現れてきました。酔っぱらって大声で歌ったり叫んだりする声が聞こえてきます。すでに盛り上がっているようです。ポリスも出動してきてなんだか大丈夫?な空気になってきました。
怪しい人とは目を合わせないようにして、みんなの流れに乗ってスタジアムまで行きました。しかし’悪’な感じの人はあまりいなくて、髪の毛をおしゃれにセットしたサポーターを多く目にしました。みんなビールが大好きなようです。ビールを飲む為にサッカーを見にきたというかんじで、一種のお祭りのようです。
そして、会場も盛り上がってきた頃、ボディーチェックを受けて入場します。ポリスはもちろん、消防車まで待機しています。いったい過去にどんな事があったんでしょう。
アウェイなのに盛り上がっているフランクフルトを応援してきました。二人とも出場していました。
みんな一致団結で応援しています。「イッヒ、ナントカ...」というようなちょっと堅いかんじで、当たり前ですがドイツ語で応援歌を歌っています。みんなの熱狂ぶりを見るのがたのしいです。ちょっと怖いですが、イタリアでもぜひ見てみたいという気になりました。

2007年9月20日木曜日

母帰ル


今日、母が帰国しました。空港へ見送りに行きましたが、その後二人になってしまうとなんだか寂しく感じました。
そして昨日から調子の悪かったカメラがとうとう動かなくなりました。
寂しい旅の続きが始まりました。
写真は、昨日のモーターショーでの母。

2007年9月19日水曜日

国際規模


国際モーターショー。
ドイツ・フランクフルトは国際見本市のメッカだそうです。ヨーロッパの中心という事で見本市などが行われるのに都合の良い立地のようです。
今回、たまたま母が耳にした国際モーターショーを見に行ってみました。
想像以上の規模です。まず、’メッセ’という駅があります。その駅は見本市を前提に、というか見本市の為だけに作られたような駅で、駅構内から見本市会場へ続く改札口も兼ねているようなかんじです。そして大規模な会場が’メッセ’という駅を中心に10個くらいあります。大きすぎるので歩く歩道があるくらいです。あまりの規模の大きさに私たちは一部分しか見れていませんが、これで十分です。
それから、フランクフルトの街へでました。明日は母の帰国なのでお土産探しです。私たちはこんな旅なので買い物ができませんが、母のお土産を探しつつ自分の買い物欲も満たすことができました。今後の買い物欲に火がつかないことを願います。

2007年9月18日火曜日

日本という国


またまたロマンチック街道を通りビュルツブルクという街へ移動です。約60km程です。
街は。どうなんでしょう。観光スポットと言われるところはそれなりに観光地化していて、名物らしきスポットに人は集まっていますがあまり魅力を感じられません。雨のせいでしょうか。天気はかなり重要で、その場その時の印象が大きく変わります。
街中で突然「日本人デスカ?」と尋ねられました。その人は髪の毛が水色と黒でカラーコンタクトレンズをしていて、全身黒っぽいファッションです。「原宿スタイルデス」と言っていました。「Xージャパン、マクリマクリスティガスキデス!」「日本人ハ礼儀正シイ。ワタシハニホンジンニナリタイデス。ソンケイシマス!」と積極的に握手を求められました。二十歳の青年です。日本へ来た事はないらしいですけど、かなり流暢な日本語です。好きこそものの上手なれです。最後に「幸アレ!」と言ってくれました。育ちが良い好青年の印象です。
こういうところが日本の文化なんでしょうか。ノルウェーでもそれらしきファッション・メイクの人をわりと見かけました。聞いた話によると、ガクトが人気だとか...。どこまで本当かわかりませんが、それらしい空気はけっこう感じました。
日本の突出した文化ってこういうところなんでしょうか。

2007年9月17日月曜日

街道を行く


ミュンヘンからレンタカーで出発です。ロマンチック街道を通ります。
このレンタカーの為に国際免許証を取得した旦那。なんと、うっかり!国際免許証を日本に忘れてきました。しかし、友達と母の連携プレーで無事に手元に届くことができました。 うっかりなんて言葉ではすまされないできごとなのですが。なんせ旅のカナメなものですから。
そんなドタバタ劇をよそに広がるロマンチック街道。良い景色が続きます。所々に「ロマンチック街道」ですと標識がありますが、ドイツ語と日本語の表示です。英語をさしぬき日本語とはよほど日本人好みなんでしょう。たしかに好みそうな素晴らしい景色でした。ぜひ車で走ってみることをおすすめします。ちなみに私も運転希望でしたがイメージよりも車が流れる道なので運転する気が失せ、もっぱらナビ専門でした。
この日の移動は300kmほどはあったと思います。ハードスケジュールですが、ロマンチック街道へ行くならココ!ノイシュヴァンシュタイン城。なので、せっかくなので頑張ってめざしましてみました。そして到着。母の「これのどこがいいの?」というさらっとした言葉に打ち砕かれ、笑いながら楽しくロマンチック街道をのぼりました。
そして、ローテンブルクという街に泊まりました。もともとお城があってその城壁の中に泊まれるんですが、なかなか観光地化されているもので私にはちょっと残念なかんじでした。街道のドライブの方が断然心地よく楽しいです。

2007年9月16日日曜日

欧米化


今日はミュンヘンでビール・ソーセージ祭りです。3人で。室内よりも屋外のテラス席から埋まっていく欧米人に混じって、肌寒いのをがまんしてのビアホール体験。
昼間は暑かったのに夕方になると想像以上に肌寒くなります。こちらの人達は少々の寒さでは半そでノースリーブ。また、日差しが強くても半そでノースリーブです。サングラス率は高くても帽子で頭を守ろうとはあまり思わないようです。NYセントラルパークで見かけた坊主頭のおじさんが日に焼けて、まさに’ゆでだこ’のように真っ赤だったのが忘れられません。ゆでだこのように真っ赤に焼けながら女性とデートしていたあの姿を写真に収めなかったのが悔やまれます。ちなみに、日差しを気にして日傘をさしているのはほぼ日本人のようです。そして、ソーセージが食べたい!と言っていた母も満足のボリュームのソーセージの盛り合わせを食べました。
こんな食生活なので、最近体が欧米化してきているのでは?と感じます。ホテルの朝食ではシリアル・パン・ハム・チーズ・ヨーグルト・フルーツというのが共通で用意されています。バランス的にハムも食べるんですけど、日本にいる時はこんなにソーセージやハムなど加工食肉品を食べる機会はないです。排泄物、体臭。少しずつ欧米化しているのでは。
そして今回は長期旅行の為、ホテルのシャワールームにあるボディシャンプー類も積極的に使い、皮膚からも欧米臭です。
それからランドリーで洗濯をします。欧米の洗剤を使うともちろん洋服から欧米臭がします。こんな匂いの人とよくすれ違う、とういう匂いが自分からしてきます。
体の中も外も欧米化です。そう思うのは私だけで、空港だとかお店では「シェシェ。」だとか「アリガト。」と言われます。見かけはアジアど真ん中です。
今のところ、旦那が6で私が4の割合で「チャイニーズ?」と言われています。韓国・中国・日本人を見分ける基準っていったい何なんでしょう。

2007年9月15日土曜日

氷河急行


母滞在のハイライトか。と思っていた氷河急行。
ツェルマットからロマンティック街道へ向けて、氷河急行という列車でクールという街へ移動です。
勝手な想像では、かなり険しい山々の間をガタゴト上り下りの列車のはずでした。しかし、とても牧歌的な景色の中を走り抜けていきます。そして’急行’なのにゆっくりと走ります。そしてよく止まります。予約をすると食事もできる、アナウンスガイド付き豪華客席列車といったところです。観光を兼ねた贅沢な列車です。
アトラクション的楽しみを求めていた私には、金額に対しての満足度はいまひとつでした。お金持ちの人がゆっくりと移動するには最適なのかもしれません。
車内では日本人中高年夫婦二組と乗り合わせました。一組は海外慣れしていて、派手に飛び回っていそうなかんじ。もう一組はリタイア後の中高年バックパッカーといったかんじ。どちらもそれぞれのスタイルで、よく旅行をされているようでした。いろんな旅の形があるようです。私達も同じように旅行中ですが、そういった年配の夫婦に会うと羨ましく嬉しく思います。
険しく激しい’氷河急行’のはずが、牧歌的な景色に囲まれながらそんな気持ちに浸りました。

2007年9月14日金曜日

スイスという国


今日のトレッキングは初心者コースでした。しかも旦那の母からかりた登山用の厚い靴下と二枚履きだったので前回の疲労感はありません。
おとといは泥のように眠るかと思っていましたが、体か頭が興奮して眠れないほどの疲労感でした。小さい頃の海水浴や山登りの日の夜の感覚を久しぶりに思い出しました。
まず登山列車で標高3000mくらいまでのぼります。マッターホルンを眺めながらです。この列車のおかげで車椅子の人でも標高3000mからマッターホルンを楽しむことができます。この列車だけでなく、スイスは車椅子を使っていても観光がしやすい国なのかもしれません。いろんな意味で人に親切なようです。標識なども旅人にわかりやすくできています。たとえば、チェコ・プラハでは駅の案内も乏しく、さらに街の地図は有料だし、私達の少ない資料の読解力と感が頼りでした。
それから、標高3000メートル。しかも近くに氷河も見えているのに信じられないような暖かさでした。快晴で日差しが暖かかったというのもあるのかもしれませんが。
ここツェルマットへは古館伊知郎さんが報道ステーションの温暖化の取材で訪れていました。急速な温暖化で氷河が後退しているということです。残したいものです。この景色。
写真下はツェルマットの街中を走っている車です。工事用車もタクシーもみんなコロコロとした形の電気自動車です。CO2削減の為だそうです。

2007年9月13日木曜日

異文化体験?


今日は移動日です。
哀愁漂うアイガー北壁の街グリンデルワルトを出て、雄雄しいマッターホルンの見えるツェルマットという街へ来ました。ホテルの部屋もマッターホルン・ビューです。素晴らしい。
ツェルマットは土産屋がずらっと並んでいて、観光地風です。私は山を近くに感じられる素朴なグリンデルワルトのほうがしっくりときます。
どちらとも、とんでもない山々に囲まれている街にかわりはありませんが。
こんな思いがけない景色、文化、人種、言葉に出会った時、さすがに遠くへ来たのだと再認識し思い改めます。そんな時は、中原中也の「頑是無い歌」、’思へば遠くへきたもんだ’という詩を思い出します。
ところが。昨日のトレッキング中。突然旦那の母が♪思えば遠くへ来たもんだ~♪と海援隊の歌を歌いだしました。さすが親子です。旦那も日本を出てから事あるごとに、♪思えば遠くへ来たもんだ~♪と歌っていたのです。家族とは面白いものです。そういった意味で、結婚は異文化体験です。旅に出なくとも知らない世界を垣間見れるので。
そして。明日も例のトレッキングです。もちろん私はすでに筋肉痛です。明日に備えて、欧米サイズのバスタブに浸かってふかふかのベッドで眠りたいと思います。

2007年9月12日水曜日

初トレッキング


’トレッキング’という響きを甘くみていました。
大半の人が登山装備です。私達夫婦は相変わらずコンバースです。しかも運動不足の私には結構な運動量です。
今日はグリンデルワルトからトレッキングです。
2000mくらいのところに湖があったりします。その湖越しにいわゆるアルプス山脈が見えます。水のある風景は特に心和みます。
つねに360℃山に囲まれているような状況です。山といっても、方角によって様々な顔を見せてくれます。雪山だったり砂漠地帯風だったり荒涼とした岩山だったり阿蘇山風だったり。そして、山肌が紅葉しているのをはじめてみました。
そして。旦那の母は山好きなだけあって、足取りが軽快です。最後のほうでは逆に「荷物持とうか?」と気遣われる面も...。立場が逆になってしまいました。
そして、高山植物もいろいろと教えてもらいました。ひとつ、とても気になった植物がありました。肉食のようなエグさと華やかさがあります。
いつどこを見ても素晴らしい景色で、雄大とかきれいとかの言葉で表現するのはもったいないくらいの体感感動でした。
インドアな私がスイスアルプスを大満喫中です。

2007年9月11日火曜日

横綱級


東の横綱グランドキャニオン。西の横綱スイス・アルプス。
グリンデルワルトから列車でユングフラウという山へ向かいます。列車で標高3400m近くまでのぼります。
トップ・オブ・ヨーロッパ。その名の通り標高3454mのヨーロッパ最高地点の展望台へつきます。
すぐ目の前に雲海が見えます。氷河が見えます。氷河。氷の河ですが。大量の万年雪が凍ってしまい、自分自身の重さに耐えられなくなり、目にはわからないスピードで少しずつ少しずつ大地を削りながら流れてきて、その力で河をつくります。
360°雪山・雲海・青空です。大パノラマ!不似合いなコンバースできていることさえ忘れていました。ちなみに気温はマイナスなので、コンバースでは長時間耐えられません。
そんな大変なところまで私達を運んできてくれた列車もすごいです。その線路を敷きトンネルを掘った人達がすごいです。アルプスの山々、標高3000m以上の地にトンネルをつくったようです。なせばなるものです...。
帰りの列車の中では、インド系の人にまみれました。列車2,3両ほどがインド系の顔ばかりでその中に紛れ込むと、とても明るくフレンドリーな人達でした。アメリカ在住のようでしたが、インドの行くべきところを教えてくれました。親切に紙にメモまでしてくれたので、ぜひぜひ行きたいです。
今日はバスタブに浸かれます。ふかふかのベッドでアルプスのふもとでハイジのように山々をかけまわる夢でもみたいです。
写真下は部屋からの眺めです。

2007年9月10日月曜日

母参上!


ウィーンからスイス・チューリッヒへ移動し、旦那の母と合流です。
たったひとりで飛行機に乗ってやってくるので、みんなで心配しながらこの日を待っていました。
そうすると、私達が気付く前にひょっこりと出てきました。まるで何事もなかったかのように。実際何事もなかったようでした。
この日はおとなしくホテルで休みました。ホステルではなく初ホテルです。はやくふかふかのベッドで眠りたい。

2007年9月9日日曜日

芸術と音楽の都で


ウィーンを歩く。
芸術・音楽の街といわれるので、それなりの楽しみ方があるとは思いますが。私達にとっては盛り上がりに欠ける街でした。街並みとしてもプラハの方が保存されているようです。
そしてまず。ユーロ圏内ということで物価が高いです。行動が自然と限られてきます。
現代美術館へ向かいました。ミュージアムショップでポストカードを眺め、入館した気分になります。
ホステルのロビーはなかなか温かみがあって心地よく、ピアノとギターがあります。宿泊客ですが、クラッシック演奏会のようにピアノを弾きまくっている人がいます。ウィーン出身ではありませんが、世紀末に活躍したサティの曲も流れてきたりします。
軽く芸術と音楽に触れてみました。
写真は、ホステル内演奏会の風景です。

2007年9月8日土曜日

ちょっとひと休み。

チェコ・プラハからオーストリア・ウィーンへ移動。列車です。

2007年9月7日金曜日

本当に本当に安い。


今日は遅めの活動開始です。いつも通り歩きが基本です。
プラハといえば、いろいろなメディアでも美しい街として紹介されています。プラハの眺めがいったいどんなものなんだ、雑誌なんかでみるのと何が違うのか!
と思っていましたが、美しいとして残されているものはやはり美しいです。正統派なかんじです。プラハ城とカレル橋を散策し、かなり観光気分に浸りました。もちろんその路地裏などにも大変興味をそそられます。かっこいいです。
しかし観光地のイメージのわりには暗く開けていない部分も感じます。私達のホステルは中心街からメトロで6駅なんですが、けっこう寂しい街といったかんじです。また中央駅のインフォメーションでさえ、待合室のあかりが4つくらいあるのにすべて消えていて営業しているの?ってかんじです。観光名所でさえもこんな風というのが中欧っぽいです。不思議なかんじです。
そして、今までの地域に比べて物価が安いです。うわさ通りビールも。ピルスナービールが500mlで約150、160円。もちろんお店で飲む値段です。これは飲まないわけにはいきません。

2007年9月6日木曜日

アートか落書きか


ドイツへはまた戻ってきますが、一旦チェコ・プラハへ向かいます。
ドイツ・ベルリンはとにかく落書きの多い街でした。落書きなのかアートなのかわかりませんが、この基本はベルリンの壁なのかもと思いました。ベルリンの壁はもともとアートギャラリーとしてスペースが提供されていたのかもしれません。かっこいい絵も多く見られます。それ意外にも街のあちこちで落書きを見かけます。3,4階建てくらの高さの倉庫のような建物の上のほうにも落書きがあり、これは公的な落書きなのかなと思ってしまいます。こんな高いところに落書きをいつしているんだろう?しかも、なかなか様になっています。街の中心部からちょっと離れた、さびれた茶色の街と落書きがあまりにもベルリンすぎです。
そして、今回の移動。 列車です。列車で国境越えです。
国境付近で、制服姿の人が出国と入国の為に入れ替わり現れ、パスポートにスタンプをドンドンと押してあっけなく終わりです。さらにスタンプが上下さかさまだったりします。適当なんです。このスタンプが楽しみだったりするんですけど。
今回はパスポートを切替、まっさらの状態で出発しました。たくさんの国へ入って出てと、これは各国のスタンプで埋め尽くされるわと思っていたのにあっけないものです。ヨーロッパ内の移動では入国審査がないところもありました。空港内で次はどっちの方向だ?と思って進んでいるといつの間にか出口にきています。こんなんでいいの?と空港の外に出された気分です。
なぜかというと。どうやらヨーロッパ内ではシェンゲン協定というものがあり、これに加盟している国々の移動では入国審査がないところもあるようです。なので、スタンプが一向に増えません。ちょっと寂しいです。
ちなみにアメリカの入国の時には、顔写真と指紋までとられてどきどきしていたのに。さすが対テロ国家。それで思い出しましたが。アメリカ国内の移動の時。手荷物検査の際には上着・靴を脱ぎ、ベルトを取って、そこまでして検査に挑まなければいけません。完璧なはずだったのに、うっかりペットボトルの水を堂々とバッグの中に入れていました。x線検査でちゃぷちゃぷと波打つものが見えたようです。流れてきているバッグが一旦止まって戻ってしまいました。そして検査員と目が合い、その後こちらへ流れてきました。通常ならペットボトルごと処分されるはずですが。ひと目見て、安全な人種と判断されたようでした。
そしてプラハ。中世すぎて重たいかなと思っていたら、さすがに街並みは立派でした。そのまま映画のセットになりそうです。
明日、また歩き回ります。
そして、ベルリンに引き続き安くて美味しいビールを飲みます!

2007年9月5日水曜日

本当に安い。


私が14,15歳くらいの時にベルリンの壁崩壊とニュースがありました。東ドイツ・西ドイツが一緒になってドイツになったり、ソ連がロシアになったりと、また覚えなおさないと、ってくらいの気持ちでした。そして、そのベルリンの壁の跡をたどりながら、街並みをみてきました。まだまだ壁があるところもあります。時間がある時に詳しく知りたいです。
街の雰囲気は、昨日みた夜のイメージよりはだいぶん明るいです。ただ、イメージするヨーロッパの雰囲気とは違うようです。今回、東欧へはあまり行きませんがもうちょっと行ってみたいと思いました。
そして。ドイツでは16歳からビールとワインが飲めるそうです。どうりで若い子達が飲んでいるはずです。今回私達が泊まっているホステルは、とても若い子達が多くて学生寮のようです。全体的に優秀な生徒風で危害を加えられそうな気配はないのでひとまず安心です。
水より安いビールを飲みました。

2007年9月4日火曜日

西から東へ


今日で北欧ベルゲンともお別れです。最後の最後に北欧らしい雑貨・インテリアショップを見つけました。旦那が。しかも、その雑貨屋の小さなぬいぐるみのキーホルダーを激しく欲しがりました。旦那が。まさしく、北欧の魔力です。
そうして、キーホルダーは買わずに何事もなっかたかのようにドイツ・ベルリンへ向かいます。
ドイツ人。オーラが違います。まず、空港で。ベルリン行きの飛行機待ちのロビーでは堅い空気が圧迫してきました。そして、着陸時。日本人以上に早くシートベルトをはずす音があちこちからカチッカチッと聞こえてきて、まだまだ降りれそうもないのに席を立って待っています。なかなか面白い光景です。私の横の窓側の女性も早々と席を立って待っているので、どう考えてもまだ降りれないのに...と思いつつも機内全体のその圧迫感に負けて私も早々と立ち上がってしまいました。こんなところがやはりジャパニーズです。そして、みんな我先にの空気で出て行きます。
違いを感じました。たとえばではアメリカ・北欧では、前にいる人からお先にどうぞどうぞ!ってかんじで暗黙の了解のようにスムーズに列が進みます。機内で席を立つ時も、旦那と席が離れていたので隣の人と代わってもらった時も、快い応対をしてくれます。特にアメリカはおおらかな印象があって、ありがとう。と言えば、どういたしまして!という言葉が笑顔とともに返ってきていた気がします。見習わないと。なのに街中では、車のクラクションが鳴り響いていました。パトカーのサイレンも毎日が異常事態発生ってかんじです。ちなみにノルウェーではパトカーのサイレンを聞いたのは1度だけでした。平和です。
私達は短期滞在なので、ほんのちょっとの一部分しか見ていない訳ですけど、感じるところはあるもんです。
そして、質実剛健なイメージを持ってベルリン着です。21時くらいなんですが、そこそこ都会のわりには街灯が極端に少なく暗く、そこはまさに東の街でした。旧東ドイツ。そして、予想以上にフレンドリーです。ちょっと楽しくなってきました。
写真は、ノルウェーなのに晴れわたってしまったベルゲンと薄暗いベルリンです。

2007年9月3日月曜日

郷に入っては


ベルゲンでの宿泊は4人部屋ですけど、今のところまだ誰も現れません。ホステル内も清潔で欧米の匂いがします。洋服にも欧米臭がついてきました。
外は寒く、天気も変わりやすいです。
雨が降ったかと思うとぱっと晴れ間がのぞきます。傘をさしたり閉じたり、その対応に追われます。地元の人達は、ちょっとの雨では傘をささしません。洋服についているフードをささっとかぶります。
そして、みんな寒さに強いです。
オスロでも、着込んだ私達が寒いから窓を閉めようかと話していたら、暑いから窓を開けてくれる?ってかんじでTシャツ姿で言われます。郷に入っては郷に従え。で、寒さをかみしめながら北国を感じました。
しかし、今日は二人部屋状態なので暖房をつけています。
それと、日本でも増えてきているようですが、スーパーの袋が有料のお店もあります。そして日曜日はお酒を売ってくれません...。お菓子も日本の3倍くらいの値段です。嗜好品にはきびしいです。ただ、イメージ通り、水がきれいです。水道水もほぼ無臭です。そのまま飲めます。みなさんぺットボトルに詰め替えて持ち歩いているようです。買うと高いですから。タダ。という事を実感します。

2007年9月2日日曜日

北緯60℃とちょっと


フィヨルド。えぐれています。けわしいです。その急斜面に可愛らし家々が無理矢理建っています。
オスロからフィヨルドに向かいます。
まず列車に乗りますが、この列車の眺めが世界の車窓からでした。
列車で標高1000m以上のところを走ります。万年雪もあります。雪が降ってきたかと思いきや、残念ながらみぞれでした。
そしてフェリーに乗り換えてフィヨルドの間を通ります。ものすごく見上げると、そそり立ったガケのてっぺんが見えます。
ふつうに寒いです。やっぱりここは北国でした。
しかも、今更ながらこんなに遠くに来てしまいました。なんせ、今まで見慣れた世界地図の端の国です。実際にはニューヨークの方が遠いみたいですけど。気分的には最果ての地です。
そして、最果ての地の端っこの街、ベルゲンに着きました。

2007年9月1日土曜日

北欧でも最高

a-haのテイク・オン・ミーが流れています。
懐かしいですが、まさにこのかんじを表わしています。
だって、そんな街なのです。おそらく。
なぜなら。内向的なパンク・ロッカー風が多く見受けられます。壁の落書きもありますが、なぜか安全な空気が漂っているのです。
飲食店のあまり敷居の高さに、無料美術館へ向かう私達。昨日、同室だった女性に無料スポットを教えてもらっていたので。しかし、そんな私達を横目に、通りのカフェテラスでは昼間から多くの人々がビールを飲んでいます。どうなっているんでしょう。
今日、今までに使ったお金。旦那のトイレ利用代200円のみです。
残念ながら、この世で一番物価が高い街と聞きました。
スーパーで下見。そこそこの物価に道が開けてきました。
今日は自炊です。