2007年10月31日水曜日

ムラーノ島


願いが叶い今日は晴天です。そしてハロウィーンです。本当に、お菓子をもらいにまわる仮装した子供達がいます。
ヴェネツィアの近くにムラーノ島という島があります。ガラス工芸品などを交易品として繁栄した地域らしいです。島のどこを歩いてもガラス製品のお店ばかりです。
ガラス工芸品というと、百貨店の上階にありそうなギフト向きの品というイメージです。しかし、想像以上に素敵なアクセサリーやランプシェードなどがたくさんありました。見ごたえ有りです。お店に入っては物色し、次は隣のお店で...。の繰り返しです。さすがにガラス製品を見る目が確かになった気さえしてきます。
そして、心が豊かになったところでヴェネツィアへ戻ります。
この街は本当に訪れる価値があると思います。この街全体が人工的に作られた海の上の街というのがすごいです。どれだけの国の力があったらこんな街を作ろうとするかな、などと考えてしまいます。すべての交通機関が海上の乗り物というのも風情があって素敵です。
そして、バーカロというワインの立ち飲み屋もあります。立ち飲みに限ったわけではなくテーブル席もありますが、みんな好んで立っているようです。お店の前の通りまで、ワイングラスを手にした人達があふれているお店もあります。私達もちょっとだけ立ち飲み気分を味わってきました。

2007年10月30日火曜日

ヴェネツィア

バルセロナから飛行機で3時間ちょっと。水の都ヴェネツィアです。
宿にはなかなかたどり着けず。しかも雨。
頑張って街へ出てみましたが、日が暮れて暗いのでまだよくわかりません。
明日、晴れる事を願って床に就きます。

2007年10月29日月曜日

教会管理人


未完にもかかわらず、とても素敵な教会を見てきました。
バルセロナの郊外にあるコロニア・グエル教会です。ここもガウディ作です。
のどかな田舎町に静かに佇んでいます。
教会の管理人(?)さんも親切にしてくれました。ちょうちょ型のステンドグラスの窓を開けるから写真を撮りなさいよ!といったかんじです。ちなみに教会の入り口には撮影禁止マークがあるんですけど、これもサービスだったんでしょう。
それから最後に、私達ふたりの姿を入れて写真を撮ってもらおうとお願いすると立ち位地を教えてくれます。この建物は左右対称でもなく気になるところが多いので、私はどこをどう写真に納めたら良いのかわからずにいました。しかしこのおじさんはさすがに毎日教会と向き合いすべてを知り尽くしている感で的確なアドバイスをしてくれます。さすがです。
このおじさん。入場のチケットも持っているか聞くだけだし、ラジオを聞きながらのんびりとしている様子でした。おじさんの地域への愛着を勝手に感じながら、ほんわかとした気分になりました。
そんな気分になってしまったのも、ちょっとした背景を知ることができたからです。
このコロニア・グエルという地域は、1900年前後にひとつの繊維工場とそこで働く労働者達の住宅地として、文化も大事にしながらのコミュニティとしてつくられたそうです。なので、町に統一感があります。ミニ知識を得ると、さらに深く楽しくなります。
その他、バルセロナでも建築物を見てまわり大変満足です。 中世の街並みのように重過ぎず、程よく新しく気持ち良い空気の街です。一日休んだのが悔やまれます。
夜は、行列のできるバルで飲んで食べ。こちらも大満足でした。
写真下ふたつは、バルセロナ市内にあるサン・パウ病院です。今も現役活躍中です。

2007年10月28日日曜日

ガウディ


楽しみにしていたバルセロナ。ガウディの建造物を多く見ることができます。
昨日は残念ながら、ここがバルセロナという事を忘れてしまいそうなほど丸々一日休んだので今日は行動開始です。
まず、ホステル近くのサグラダ・ファミリアから。
’思ったより小さい’と聞いていたので私は思ったより大きいなと思いました。普通の教会などにはない良い意味でのドロドロ感の彫刻が素敵です。
このサグラダ・ファミリアは完成が2020年代と予測されているそうです。生きている間に完成するかもしれません。ただ、着工してから年月が経っているので、建設と修復を並行して行うという変な状態になっているそうです。
それから建物の彫刻には、外尾悦郎さんという日本の方が携わっているそうです。ここにも海外でがんばる日本人。です。しかも福岡出身です。なんだか親近感が湧いてきます。
そしてもうひとつ、カサ・ミラ。現在、住人もいるアパートメントです。曲線だらけの建物です。壁も湾曲していたり、階段の手すりも曲がっていたり、一瞬、垂直水平がわからなくなりそうです。
同じように家具も手掛けています。これらすべてが約100年前のものですが、きっといつの時代でもちょっと変わった素敵なものとして受け入れられていく普遍性を感じます。
こういった建物などの空間は、その中で体感できるので、体中で楽しめます。とても素敵な空間でした。
それから、メトロで行き先を探しているとパキスタン人に声をかけられました。’声を掛けられたらスリと思え’などという言葉を裏切って、私達をホームまで連れて行ってくれた親切な人でした。まだ無事です。

2007年10月27日土曜日

お休み


休養中。

2007年10月26日金曜日

モロッコを発つ


8000円弱でモロッコ・マラケシュからスペイン・バルセロナまで4時間弱で移動できる魔法のチケットのような格安航空券。
ようやくモロッコ脱出です。と言っても決して嫌いなわけではありません。こんな気分になるのもすべては体調を崩した為だと思います。前半はとても楽しい日々だったので...。

2007年10月25日木曜日

再開


どこまでも入り込んだ砂漠の砂を洗い落としたいので洗濯をしました。
こちらのホテルの洗濯係りの女性と同じようにタライで洗濯です。
これがなかなか体力仕事です。
そして、回復した旦那と入れ替わり再発熱です。
食欲もなくなったところに、母が持ってきてくれていたインスタント味噌汁。欲していた味でした。体中に染み込みました。

2007年10月24日水曜日

砂丘から朝日


早起きして、砂丘に登って日の出を見ました。
砂丘。サハラ砂漠。ここはアフリカ大陸なんだ。と盛り上げてみました。広大な土地で見る朝日は単純に素晴らしいです。砂丘からでなくてもいいような。
そして今日はひたすらマラケシュへ向かいます。
モロッコの街中では、羊などの肉を皮をはいだまるのままの姿で店先に吊るしている光景を本当によく見かけます。なので、羊の生肉の匂いが漂っています。マラケシュに着いたらまたこの生肉の匂いとクミンらしき香辛料の匂いから逃れられないかと思うと気分が悪くなりそうです。
すべては体調不良のせ いです。

2007年10月23日火曜日

アラビアン・ナイト


パン・コーヒー・はちみつなど、モロッコの香りのしない朝食を済ませて出発です。
この砂漠地帯のオアシスで生活する先住民族・ベルベル人の村を訪れました。家は土レンガでできています。雨が降らない事が前提なので、大雨が降れば溶けるそうです。
ところどころで見かける、崩れかけた家の屋根部分や塀は雨のせいのようです。どこかの遺跡のようになっているところもあります。しかしそこでも洗濯物がほしてあったり、人の生活はあるようです。
そして最後には、ベルベル人の家へあげられミントティーをふるまわれ、目の前に絨毯を広げられます。ひとりひとり、「いかがかね?」とたずねられます。
’ああ、こういう事だったのか’と思いました。
もともとこのツアーにはガイドはついていないはずなのに、ベルベル人の村でバスを降りるとどこからともなくガイドが現れて、説明をしながら誘導していくのです。
そして、「これから砂砂漠に入るからターバンを買おう!」的にお店を紹介して去っていきました。
欧米の人達は約9割、ターバンを巻いていました。洋服もアラブ風のものを準備しています。
ちなみにこの目だけを出して巻くターバンは、覆った部分の湿度を調整して保ち、砂を防ぐ砂漠地帯ならではのもののようです。
それからバスは道なき道を走ります。砂丘が見えてきます。シェビ砂丘。今日の宿泊地です。
夕方かららくだに乗って1時間弱、砂丘を移動します。らくだは歩きながらでも糞をします。その糞がコロコロコロとどこまでも転がっていくほどサラサラの砂砂漠です。
らくだに乗ったまま日の入りを見ます。空には7色の空があるという話を聞いたことがあります。虹と同じだけ色があるそうです。緑の空なんて。と思っていましたが虹のようなグラデーションの空を見ることができました。
そして、満月2日前ということで、月明かりがとてもあかるいです。らくだに乗っている私達の影が砂砂漠に映ります。アラビアンナイトです。

2007年10月22日月曜日

サハラ砂漠ツアー出発


砂漠ツアー参加の為、6:00起床です。
そして7:00集合なのに来ているのはわずか。結局8:00近くになってようやく出発です。
メンバーは。日本4人、韓国4人、アルゼンチン2人、ポーランド2人、フランス2人、ドイツ2人、オーストラリア2人、ニュージーランド2人という20人です。
あたりまえなのでしょうが、アフリカでも山頂には雪があるんだなと思いながら、アトラス山脈を越えました。すると、景色は変わり砂漠地帯です。今までよりもさらに乾燥地帯です。グランドキャニオンのような岩山の景色が現れたりします。地平線もひろがります。日本からは遠~く、縁遠いような大陸ですが、アフリカって広いんだろうなぁと単純に考えてしまいます。
今日の宿は山あいの寒いホテルです。こんなに寒いのにひとつの暖炉がちろちろと燃えているだけです。
私の体調回復と入れ替わり体調を崩した旦那の体調は悪化へ向かいそうです。
今回の体調不良の原因は、おそらく羊だろうという事に決まりました。モロッコへ来てから肉と言えば羊肉です。しかもポルトガル以降の暑さと乾燥に、旅の疲れもでてきていたのかもしれません。たまにしか羊肉を食べない私達のからだに、羊の肉と油が過剰反応してしまったようです。食べるのはもちろん、匂いも拒否したいくらいの心境です。
追い討ちをかけるように、からだを暖めるために頼んだカフェオレは羊のような匂いがします。羊ではないとしても、牛乳ではなくヤギの乳だったのかもしれません。
砂漠ツアーに参加した日本人から聞いた話のとおり、食事はタジン(野菜・肉の煮み料理)、クスクスの繰り返しのようです。このままでは食欲が消えうせていきそうです。
写真下はロバと少年。子供達とロバがとても可愛いです。でもこちらの人達は極端に写真を嫌がるかお金を要求してくるので難しいです。

2007年10月21日日曜日

洒落にならない


’ビンボー・プライス’。
モロッコへ来てからの日本語での声掛けの中にこのビンボープライスという言葉があります。モロッコへ来た日本人が教えたのかどうかわかりませんが、安いという事を伝える為にこの言葉を使っているようです。あんまり良い響きじゃないんだけどと思いながら聞き流しています。
しかし、さらに上が。’バカヤロー’です。ナニ~?とは思いながらも、まずは冗談かもしれないし、どういうニュアンスで使っているのかもわからず、たしなめる程の語学力もなく。そのまま店員の誘いで、またまた旦那のジーンズを探しにお店に入ってしまいました。
しかし、やはりその言葉は悪意からだったようです。その後の彼の行動に表れていました。
彼は個人的に日本人が好きではなかったのかもしれませんが、彼一人の言動のおかげで...。
これまでの国でも冷たい態度の人はいたし、バスのチケット売り場の人がいきなり機嫌が悪く怒鳴ってきたり、そんな事もありました。
ただ、モロッコの人は最高に素敵だと思っていただけになんだか悲しくなりました。
そして夕方頃から発熱です。明日は砂漠ツアーだというのに。
モロッコが私の心から離れていくような気分になってしまいました。

2007年10月20日土曜日

マラケシュ


猫との別れを惜しみつつフェズをあとにして列車で8時間。マラケシュに到着です。
なんとなく話に出ていたように観光地寄りの街のようです。これまでの空気とは何か違います。人の表情が違います。しかし、思っていたほどのしつこい勧誘は少なく、わりとスムーズに宿も見つかりました。
マラケシュの旧市街の中心にフナ広場という広場があります。そこにでは、蛇つかいが観光客の首に蛇を巻きつけたり、演奏が行われていたり、大規模なお祭りのような賑わいです。そして屋台がずらっと並び煙をもくもくと出しています。宿の部屋から見る光景はまるで火事のような煙の量です。その広場を囲んでひしめき合う商店群が広がります。
マラケシュの楽しみ方のひとつは買い物だろうという事で、商店をのぞいてまわります。しかし、私達を放っていてくれる人達はいません。まず、日本語でのあいさつから始まります。それから商品の説明です。最後には「サヨナラ」などと言ってくれるモロッコの人達に対して、あまりにも素っ気ない態度でお店を出る事もできないので、お店に足を踏み入れるのにも心の準備をしてしまいます。しかも値段がついていないので話が長引きます。買う気であれば、ここから値段交渉が必要です。
ここは、なかなか買い物欲が満たされそうな街のようです。しかし、旅はこれからも続くので思うように買い物できないのが哀しい現実です。

2007年10月19日金曜日

ミントティー


モロッコへ来てからなんだかよくわからない展開続きで忘れていました、ミントティー。
フレッシュのミントをたっぷりと入れたグラスに熱々の甘い薄めの中国茶(?)を注いだもののようです。美味しいです。甘~いにもかかわらず、からだが浄化されそうな飲み物です。
このミントティーを男性達がカフェで飲んでいます。一昨日自宅に泊めてくれた家主さんもモロッカンウィスキーと言っていました。お酒を飲まないイスラム独特の光景だなあと思っていました。
ところが今日、新市街の方へ行ってみると、ミントティーを飲んでいる人たちはいません。街を歩く人達も女性を含めわりとくだけたかんじの服装だったりします。
旧市街のあの光景はなんだったんだろう。やっぱり観光客を楽しませる為にみんなで...。などと思ってしまいます。
フェズはモロッコの古都で、日本では京都や奈良にあたる歴史ある街らしいので、そういった努力がどこかで行われているようなかんじもします。
それにしても、モロッコの人達の笑顔は素敵です。
そして日本へ帰ったらミントを育てようと思います。

2007年10月18日木曜日

モロッコの人たち


今日は、奥様が用意してくれた朝食で一日が始まりました。親切にしてもらい、ここを離れるのは惜しくなってきたんですが、安い宿へ移ることにしました。今度の宿は、3歳くらいの可愛い女の子と人なつこい猫付きです。動物に目もくれなかった旦那が猫のとりことなり、とうとう話しかけ始めました。
フェズの旧市街には1km強四方に30万人が住んでいるそうです。そんななか、昼間に何をしているのかわからない男性陣が街中でたむろしています。なので、何度も同じ人に会います。昨日のガイドだったり、帰る家がわからなくなったところをすかさず教えてくれた人だったり、物売りだったり、意味もなく日本語で話しかけてきた人だったり。1日で顔見知りが一気に増えます。
そしてみんなに共通する事ですが、別れる時に嫌な気分にならないという事です。ガイドを断った時もしばらくフェズのアピールなどをして去って行きました。物売りの誘いを断った時も「いやいやいいんだよ、とんでもない。」といったかんじです。そしてその後からは知り合いのように声を掛けたり笑顔を向けてくれたりします。悪質なガイドで有名なモロッコですが。国をあげて観光に力を注ぎ、みんなで観光客を楽しませてくれているのではと思ってしまうほどです。

2007年10月17日水曜日

モロッコの民家に...


港町のタンジェからバスで7時間。途中で嵐に遭い、バスが雨漏り(?)しながらも無事にフェズに到着しました。
フェズ旧市街は世界一の迷える街だそうです。
到着すると待ってましたといわんばかりに、ガイド達が声を掛けてきます。辺りは暗いし街全体が迷路かと思うと、ガイドに頼りたいのはやまやまですが、悪名高いモロッコのガイドをどこまで信じていいのかわかりません。しかし宿も決まっていないので、しつこく熱心に言い寄ってくるガイドにそんな気持ちでついて行きました。
紹介してくれる宿をあたっても高かったり満室だったりの繰り返しです。その間にガイドがバトンタッチされたり1人から4人までに増えたりします。真剣に探してくれているようです。それにしても、いったいこの人達はどういう目的で?と思いつつついていきます。あんなに疑っていたのに、あまりの真剣さに申し訳ない気持ちさえ出てきました。ちなみに、このガイド達はホテルを無料で探してくれますが、明日の街中でのガイド料が目的です。
そして、ガイド達が‘最終手段だ’というかんじで話し合った後に辿り着いた先は‘民家’でした。一般人の自宅屋上のゲストルームが私達の宿となりました。とんでもない展開ですが、これがとても良い結果となりました。外には閉ざし内に開かれるイスラム式の建物のようです。屋上には植物があり、ゆっくりと過ごせるようになっています。そこに家の主と兄弟と並んでこし掛け、ミントティーを飲むという不思議な状況になってしまいました。しかも、奥さんの手作り料理まで頂いてしまいました。クミン風味のまさにモロッコ家庭料理です。ちょっとしたホームステイ気分です。
街中ではあまり接触する機会のないイスラムの女性にまで優しくお世話になってしまいました。
いったい何だったんだろう。と夢か現実かわからないような状態で時間が過ぎていきます。

アフリカ


「世界中にいい人はいるだろうからね~。」という言葉をよく思い出します。
旅に出る前の家族への報告で、「ところで言葉は話せるの?」という質問に対して言葉が詰まったときに、このセリフをもらいました。
まさに‘いい人’を期待している訳ではありませんが、いろんな意味で‘いい人’によく出逢います。助けられます。和みます。
ここモロッコ・タンジェも不思議と‘いい人’たちのようです。
よく日本語で声を掛けられます。日本人に対して、商売相手という見かたはもちろんあると思います。でもそれだけではなく、何の関係もないような人達までしきりと知っている日本語を投げ掛けたがり笑顔をむけてくれます。
モロッコには、メディナといわれる外敵から守る為につくられた街があります。細い路地がくねくねと入り乱れています。迷い込むのは簡単です。
そしてそこで、「どの方向に行ったらいいのかな?」と立ち止まって辺りを見回そうものなら、近くの人達がそれぞれ思う方向を指差して、あっちだこっちだと声を掛けてきます。
どういった理由からなのかはつかめませんが、悪い気はしません。むしろ楽しませてもらえます。
宿を紹介しようかなどと近寄り最後のとっておきに「ハシシ」と言い放つおじさんまでも、礼儀正しく「さよなら~」と言って去っていきます。 ここには’無礼者’がみあたりません。
また、イスラム教を国教とする国です。お店の客が全員男性のカフェ‘男の社交場’。ミントティーなどを飲みながら過ごす男性でいっぱいです。そこに女性の姿はありません。女性は出来る限り肌を隠して歩いています。
スペイン・アルヘシラスからジブラルタル海峡をフェリーで3時間弱。初のアフリカ大陸は不思議な一日でした。

2007年10月16日火曜日

スリ対策

スリに注意。
スペインのガイドブックなどでこういうコメントをよく目にします。また、リスボンの宿でも、韓国人女性がスペインでスリに遭ったという話がでました。
私達も完全装備でスペイン入りしました。とはいっても、バックパックにレインカバーをかけて防犯対策ぶりをアピールする程度ですが。そういうことが重要かなとは思います。よく目に付くところにカギをかけてみる、とか。その他は、誰かにつけられていないか気にしたり、スリの人相・ファッションを想像したり。
セビーリャに到着した時、重たい荷物を背負って歩きながらスリに対する心構えを話していました。心構えが大事です。それでも気付いたらジーンズをはいていなかったなんて巧妙なスリ集団でもない限り、なんとかなりそうです。
今のところ無事です。この後一旦、モロッコへ行った後に今度はバルセロナ入りするので、まだまだ油断は禁物です。

写真下は吊り下げられた生ハムの塊。ハモン・イベリコを物色する旦那です。ラフすぎます。

2007年10月14日日曜日

アツイです


バスで5時間。スペイン・セビーリャ到着です。
相変わらず暑いです。しかも、スペイン語。熱いです。1人のしゃべりが3人分くらいのざわめきを持っているような気がします。
そして楽しみの食事。おつまみのようなちょっとした料理を小皿で出してくれます。タパスです。
これまでの欧米諸国では、大半のお店で、一人分がドンとお皿に盛られていていました。しかも量が多いです。シェアすると不思議がられる空気もありました。しかし、ここスペインのタパスは少しの料理が小皿に盛られているのでそんなことを気にせず、多くの種類を食べられるので楽しみが増えます。
それからもうひとつの楽しみ。フラメンコ。スペインといえばフラメンコですが、本来は南部のモノのようです。無料だったので、有料のショウとは何か違うような気がしますが、雑多な空気が味わえます。ちなみにショウの開始は23時からです。本当に夜が遅いです。

2007年10月13日土曜日

超短期バカンス


昨日今日とバカンス体験中です。
旅先とは思えないほど熱中して本を読み進めていました。部屋で。時には屋外のテラスで。もちろん日陰です。まったく贅沢です。
心から。長期休暇を滞在型のバカンスにあてる欧州の人は大きく構えているな~と感心してしまいます。もしも休暇がとれるとすると、ついつい周遊型の旅行を思い描いてしまう私とは根本的に何かが違うようです。
なので今回。滞在型休暇をイメージしてみました。が、何か違うような。本を読むのであれば何もこんなところである必要はないし。たしかに、白壁のリゾート地でわざわざ本を読むというのは贅沢極まりないです。でも何かもったいないような想いに駆られ街へ出てしまいます。
2泊3日くらいの温泉旅館滞在がちょうどよいかも。

2007年10月12日金曜日

バカンス


おそらく。バカンスです。
この街にいる人達の目的はのんびりと休暇を過ごす事だろうとおもわれます。
ビーチに寝転んでひたすら太陽の光を浴びています。真っ赤に焼けているか、こんがりと浅黒くなっているかのどちらかです。
高緯度地域の西欧の人達は、日光不足による骨の病気を防ぐ為に日光浴をするそうです。日常生活では補いきれない日光を浴びているらしです。
それにしても、浴びすぎではないかと人事ながら心配してしまいます。このままだと違う病気になってしまうのでは...。それほど、真っ白な肌が真っ赤になっています。そして、シミなどおかまいなしといったかんじです。
この乾燥した気候と強い日差しのおかげで、私の肌は乾燥中です。ここにいるみんなのようにゆったりと過ごしてはいますが、もっぱら日陰限定です。

2007年10月11日木曜日

リゾート地へ来てしまいました。


世間様に申し訳ないと思ってしまいました。
ポルトガル・リスボンから南の方角で探した地域。宿はキッチン付きアパートメント。しかも安い。なんとなく海の匂いがする南国。そんな理由で次の行き先にきめたアルブフェイラ。
リスボンからバスで3時間。広がる乾燥地帯の次に降り立った地は、街の中心のようではありますが街の概要がまったくつかめません。大きいような小さいような。リゾート地のような住宅地のような田舎のような。
しかし。ここはまさしくリゾート地のようです。丘陵地に白壁の家が立ち並び、大西洋が広がるビーチが目に入ります。そして高白人率。ほんの一部ですが、中高年もヌーディストのビーチです。
想定外のところへきてしまいました。でもこんなところで過ごせるなんて幸せです。

2007年10月10日水曜日

甘い卵味


ヨーロッパの習慣として休みをしっかりととっていることに感心します。日曜日になればお店・スーパーなどが閉まっていて、街が静かになってしまいます。地域によってはお昼休みを長くとる習慣もあり一旦お店を閉めてしまう場合もあります。
しかし、今回私達のいるところは街の中心地なので、ずっと街が動いているかんじです。代わりに私達がゆっくりと休んでしまいました。この街の空気がそうさせてしまいます。お昼の3,4時くらいにベッドに横になると、暑くも寒くもない心地よい風で眠りについてしまいました。ここで、ごろごろとずっと寝ていたいです。
そして夕方から散歩にでかけます。眩し過ぎる日差しも少し和らぐし、日が長いのでゆっくりと過ごせるかんじです。街のレストランも夜8時くらいをすぎるとようやくにぎわい始めます。欧米の人は寒いところでも暑いところでもみんな外が大好きなようです。室内ではなくテラス席の方がにぎわっています。
それと、ポルトガル伝来の食べ物といえば日本ではカステラです。濃厚な卵の風味と甘さがおなじみです。また、一時期話題になったエッグ・タルト。こちらではNATAと表記されています。これも甘い濃厚卵味がくせになります。
NATAを食べて昼寝をしてNATAを食べて散歩して帰りました。
気候が良く、人が柔らかい。食べ物が美味しく、物価もやや安め。心から安らげます。

2007年10月9日火曜日

西の果て


ユーラシア大陸の西の果て。ロカ岬へ行きました。日差しがとても眩しいです。でも気持ち良いです。ずっと続く海を見ていると、昔の人はこんな景色を見て海の先の新しい大陸を求めたのかな、なんてレベルが違いすぎますが私でも自然と考えてしまいます。
気候が良い地域は、人も明るく開放的な印象を受けます。かつ親身な気がします。
大陸の西海岸。カリフォルニアもそうでしたが、リスボン含め、この気候の快適さというか開放感というか、本当に素敵です。
そして、よく言われることですが本当に街に情緒があります。パリの重厚な豪華さとも違います。
これまで圧倒された重厚感はいったい…というほど。
壁の色にはくすんだピンクや黄色や水色などがつかわれています。カラフルな洗濯物もなびいています。生活感があり、重すぎず、情緒があります。
…情緒って何なんでしょう。
東のはての地で感じる日本的な情緒って何でしょう。
この地で感じるのは、何と言っていいのかわからないけど、日本にいるときよりももっと底を挙げて突き抜けた感じです。
遠いのに、でも、故郷を感じます。
見たことのあるような、色彩的には見たことのないような過去の故郷
のようだからです。
それは、向かいの家の洗濯物がたなびき、その色が自然と受け入れられる、隣との距離感かもしれません。


 

2007年10月8日月曜日

リスボン


ポルトガル・リスボンです。のんびりと余裕で2時間遅れで到着です。
言葉がわからないので、何の理由で遅れたのかさえわかりません。
リスボンの空港へ近づくとかなり低い高度になります。地上の建物が良く見えるところを飛んでくれます。一旦リスボンを通り越し、360℃旋回してから着陸します。その景色がとても良いです。空が青く高く茶色の屋根と白い壁の建物の景色が広がります。サービスではないと思いますが航空会社のひとつのサービスのような気さえしてきます。
気温は25℃くらいです。快適です。今まで長袖の服をずっと着ていましたが、ようやく夏向きの服を着られそうです。


2007年10月7日日曜日

最終日


パリ最後の日。
第一日曜日はいくつかの美術館が無料で入場できるので美術館巡りです。の予定でした。
二件目までがんばりましたが、旦那がアート飽和状態で気分が悪くなったのでそこで引き上げました。
そのあと、食事をすると単純に元気を取り戻したようで最後のパリ散策をしてから帰りました。
明日はポルトガル・リスボンへ移動です。暖かくて、物価が安いことを願います。
写真は20世紀始めのパリのマドンナ、キキです。

2007年10月6日土曜日

10年来

ポンピドゥーセンター、国立近代美術館。
改装が終わったので見ることができました。
以前を思い出しながら、疲れる体を疑いつつみてまわりました。
ここへ来ることは、いうなれば、10年来の願いです。

2007年10月5日金曜日

オペラ・ガルニエ


パリ・オペラ座。10年前はとても敷居の高いところでした。見学以外に選択肢は思い浮かびませんでした。
ですが、今回は行きました。見学ではなく鑑賞に。
パリ・ガイドとして一応オペラ座ははずせないかなと思い、行ってみました。すると黒人のセキュリティーの人が日本語で「おいで、おいで~」と言ってくれたので吸い込まれるように入りました。無料の見学ゾーンのみです。すると、昼間の見学と、観劇鑑賞(?)と金額があまり変わりません。なので夜の鑑賞に決めました。いったい私達は何を鑑賞するのかわからないままチケットを買いました。
しかし。正直、オペラ座に入るには失礼な洋服しかなく、私はテンションが下がってしまいました。最後の最後まで、洋服を探して歩き回りました。今回の旅には必要のない服を買うわけにはいかず、その時が来ました。すると、さっきの黒人のセキュリティーの人が「また来た~!」と日本語で言ってくれたおかげで気がなごみました。思わずにっこりジーンズ姿で入ってしまいました。
みごとに豪華絢爛。な建物です。着飾った人達がシャンパン片手に開演を待っています。優雅な空間です。
そして、私達は滑稽にも何が始まるのかわからないまま席に着きました。
モダン・バレエでした。後でわかったことですが「嵐が丘」だったようです。
私は一度みてみたかったジャンルだったので嬉しかったです。帰りはみんなの熱気に包まれながらプリマドンナのステップになっていました。旦那もバレリーナ歩きです。そう思っているとほかにも踊りながら階段を降りて行く人たちがいます。みんな影響されて興奮しています。完全に様々な人たちを飲み込んでいます。
今回、オペラ座で鑑賞というのはまったく目的外でしたが、10年前には想像できなかったプランです。それをやってみたというのは、これも年を重ねた証拠です。それが嬉しく思えました。
前回訪れた時も1ヶ月という期間でいろいろなところをまわる時間はありました。なので今回は前回を思い出しながら...と思っていました。しかし以前は目に入らなかったところが目に入ってきます。10年経った甲斐があります。ちゃんと成長しているようです。

2007年10月4日木曜日

食生活


フランスに限らず欧米を旅行するには厳しいほど、なかなか円の価値が上がりません。 もちろん食事代にも大きく響いてきます。
でも美味しいものを食べたいという欲求があります。なので、私達も少しずつ学んでいきます。
これまでも、屋台で売られているケバブという中東の食べ物に大変助けられました。ほぼ、どこの街にもあるのでは、といっても過言ではないくらいよく見かけます。
そして、パリでの頼りはバゲットサンドまたはパニーニです。満たされます。また、お肉屋さんではパテやテリーヌなどのちょっとした惣菜を売っています。これがなかなかの満足感です。ただ。小さな商店では、当然のようにフランス語で話されるので、欲しい量だけを買うのに緊張してしまいます。
今日は、マルシェでうさぎのテリーヌ購入に挑戦しました。
うさぎといえば、通り掛かったお肉屋さんでは、’毛’のあるそのままの状態のうさぎが冷蔵ショウケースに入れられていました。
今思えば、そのうさぎを見た後に、わざわざうさぎのテリーヌなんてよく買ったものだなというかんじです。
この調子で、きっと明日もパンとお惣菜の日となるでしょう。

2007年10月3日水曜日

観光ガイド


パリ観光地ど真ん中ツアーのガイドを務めました。パリ2度目という僅差で。
せっかくパリへ来たのだから、恥ずかしくないような?所巡りです。私はなんとなく思い出しつつ、旦那は途中から飽きがきているようなきていないような...。明日からも、私の趣味を織り込みつつみっちりと歩き回りたいところです。
このガイド料は、頃の良い時に何らかのかたちでいただきたいと思います。うまくいけばの話ですが。

2007年10月2日火曜日

パリです。


パリ・モンマルトルといえば、画家達が集まった地域としても観光地となっています。
ピサロ、ピカソ、モディリアーニ、アポリネール、コクトー、ゴッホ、マティス、ルノワール、ドガ、ユトリロ、ロートレック…。
出入りはあったものの、芸術家達がこの地に魅せらたのは間違いないようです。
今回はそのモンマトルへ宿泊という事で期待大です。恐れ多いです。
モンマルトルは小さな丘の街で、急斜面の階段や坂道が独特の良い雰囲気をかもし出しています。
しかし、見上げるような階段。この重たい荷物を背負ってこの階段は。坂のある風景好きの私も閉口です。サンフランシスコの坂道を思い出しました。が、その比ではありません。
しかもホステル内でも階段は続きます。古くてかっこいいので許せます。
これから1週間程、この階段を通ってパリの街へくり出してきます。