2007年12月31日月曜日

大晦日


今日は大晦日です。
いつもの年末年始といえば寒いものです。
こちらは暖かく半袖などで過ごしています。年越しという実感がわきません。
旅の途中で年明けを迎えることになります。
ヨーロッパの旅行のことなどが何年も昔の出来事のようです。
そんな濃い旅が無事に続けられて、この一年に感謝しています。



★みなさん、今年一年どうもありがとうございました。来年もよろしくお願いします。

2007年12月30日日曜日

辛美味!


タイでの食事は安心です。とんでもない料理が出てくることはありません。美味しいです。
そして、やっぱりタイの人達は辛さに強いのでしょうか。
「辛くて大丈夫?」と親切に確認してくれます。せっかくなのでタイ人と同じように食べてみたいのでOKをしてしまうと、本当に汗が噴き出してしまう結果となります。誤って唐辛子入りの料理ばかりを注文してしまうと口の熱さが止まりません。口から火が出るとは良い表現だと思いました。
でも辛いのに美味しいので食べないわけにもいきません。やっぱり美味しいのです。

写真上の手前はヤムウンセン。辛くて甘酸っぱい春雨サラダ。
写真下は街中いたるところにある金ピカのお寺。

2007年12月29日土曜日

食べ収め


今日はタイ・チェンマイへ向かいます。
なので昨日はドリアンの食べ収めです。美味しさを再確認。
熟れ過ぎたアボカドのコクとバナナを合わせたような味。あまりにも濃いので、欲張って食べていると体に悪影響を及ぼしそうです。 
そしてトランジットの為のバンコクの空港。見つけてしまったドリアンアイス。食べてしまいました。
かなりの出来栄えで美味しいです。体がおかしくなりそうです。

2007年12月28日金曜日

戦争


ベトナム戦争。私が生まれた頃には戦争は終わっていますが、その後の人体への影響というのは日本での被爆と同じように問題になっているようです。
戦争証跡博物館へ行きました。戦争に関する生々しい写真がたくさん展示されています。枯葉剤の影響で正常に成長できなかった胎児のホルマリン漬け。捕虜の監獄の再現や断頭台、拷問方法の説明など。残酷すぎる事実ばかりです。
一方、屋外には戦車や戦闘機が展示されています。これらをバックにポーズをとって記念撮影をする人もいます。
昨日行ったクチ・トンネル。ホーチミンから70km程のところにある、戦争中に使われた地下道です。小さなクワと竹のざるで掘り出したそうです。ベトナムの人々がいかに団結していたか想像できます。
B52の爆撃跡。林に仕掛ける罠や戦車の展示。流れに沿って歩いて行くと最後にお土産屋と射撃場があります。ものすごい音で銃声がしています。でもこの流れで射撃をしたいとは思えません。
たしかに、ちょっとエンターテイメント的なつくりだとも感じます。地下トンネルを通ったり。戦車が展示してあるところでは子供達が大興奮で戦車に登って行きます。ここでも写真撮影。
なんとなく写真を撮ることに違和感を感じてしまいます。
私達も実際に地下道をくぐってみたり写真を撮ったりしています。サラエボで銃弾痕も撮ってきました。
でも、少なくともこういった負の遺産の前で笑顔はないんじゃないかなと思っています。
サラエボでは戦争の跡を公に探すことさえはばかられたのに、ここではかなりアピールしているような気がします。
日本も唯一の原爆を落とされた国です。広島、長崎。改めて訪れたい気分です。

2007年12月27日木曜日

日対蘭


宿の近くに、日本でいう居酒屋のようなお店があります。
料理を少しずつ注文することができるお店です。これがなかなか貴重です。
これまでどこへ行っても、注文は始めにまとめてというのが基本のようでした。
でもここでは、料理を取り分けながらゆっくりと箸を進めることができます。そして、ベトナムならではのお風呂のイスのようなものに座って食事をします。お店をはみ出して歩道での食事です。
そして、突然の「ポリス!」という声でみんなが一斉にテーブルとイスを屋内に移動させます。歩道での営業が認められていないということなのでしょうが詳しい事情はわかりません。
警察が通り過ぎると、また元の位置に戻して食事です。
それから隣合わせたタイ人のおじさんとオランダ人2人組みと一緒に飲みました。
あまりにも英語がわからない私はおちょくりの的になり、旦那はオランダ人と相撲をとるはめになりました。レスラーのような体格にタトゥーをいれ、頭は坊主でもみあげだけが赤毛でふさふさのオランダ人に軽々と持ち上げられて完敗です。




2007年12月26日水曜日

大満足。


街を歩いていると、ところどころでドリアンの残り香が漂ってきます。
遠くから漂ってくるこの強い匂いはちょっと生ゴミのようなかんじもします。近くで匂うとなんとか食べられそうな範囲の臭さです。
一番初めに食べようと試みた人は偉いです。
とても変な匂いのドリアン。ものっすごく美味しいです。
フルーツというよりも、手の加えられたデザートのようです。無理矢理表現すると、バナナシェイクとバナナケーキとパイナップルの間のような味で、熟れ過ぎたアボカドのような食感です。こんな表現をしてしまうと安っぽくて美味しくなさそうですが、とにかく甘みも強くてバターっぽくて美味しいです。
けっこういろいろなところで道端で売られています。ひとつ、200円から500円くらいです。
今日は市場の中のフルーツ屋の前でお風呂の椅子のようなものに座って南国フルーツを食べあさりました。ここは相場より高めのようですが、食べごろのフルーツをお店のお姉さんが手際よく皮をむいてくれるので子供のような気分で食べました。
ドリアンのほかにお気に入りは、シュガーアップルとジャックフルーツ。
マンゴー、パパイヤ、ドラゴンフルーツ、グアバ、リュウガン、マンゴスチン、パパイヤ、ランブータン。
タイからベトナムにわたり、気になるフルーツを制覇しつつあります。
食事は大満足。とまでははいかないけれど南国フルーツにはとても大満足です。


写真一番上はシュガーアップル。

二番目はジャックフルーツ。素朴な甘みでみずみずしくない食感です。

三番目はドリアン。臭いので、ぴっちりっとラップがかけられています。

2007年12月25日火曜日

暑い国で


タイ、ベトナム。庶民派の食堂・屋台では女性が頑張っています。
100円前後で麺類を食べることもでき、結構利用しています。
香草たっぷりで好みで香辛料を効かせる料理は食欲を満たしてくれます。ただ、お店には’味の素’と書かれたダンボールがドンと置かれています。この化学調味料も効きすぎの為、さすがに最近は飽きてきたようです。
それと、南国ならではのフルーツシェイク。マンゴーなどの果物と氷とたっぷりのシロップをミキサーで混ぜただけのものです。でも、暑さのせいかこの甘ったるいドリンクを妙に欲してしまいます。

2007年12月24日月曜日

バイク バイク バイク


ベトナムはバイク天国です。
ホー・チ・ミンにタクシーで乗り入れると、バイクの渦に巻き込まれてしまいました。
信号が変わるのを待つバイクの列が続きます。一度その列が流れだすと果てしなくバイクの波が続きます。信号自体あまりありませんが、信号があってもみんな思い思いに進んでいるようです。バイクの渋滞は想像を絶する面白さです。3人乗り4人乗りもざらです。それぞれがお気に入りのヘルメットをかぶっています。これがなかなかみんな新しく、ポケモンらしきキャラクターだったりピンクだったり赤だったり、イメージ以上のベトナムらしさをかもし出しています。
今日はクリスマス・イブという事でこの賑わいなのかもしれませんが、このバイクの多さは想像以上です。

2007年12月22日土曜日

またまた


今日も飽きずにスノーケリング。

2007年12月20日木曜日

青春。


海が似合わない私達ですが、せっかくなのでスノーケリングやカヤックで遊べる1日ツアーに参加しました。
ここピピ島でもやたらとタトゥーをしている最中の姿を見かけ、必要以上にサングラスと水着の似合う欧米人20人くらいと一緒にボートで小さな島をまわりながらスノーケリングをしたりします。
きれいだという噂の、ピピ・レ島。映画「ビーチ」の舞台にもなった島はとてもかっこいいです。まるで秘境のようです。とはいっても観光客はたくさんいます。それでも良い!と思えるほど、秘境風のジャングルを抜けた後にひろがるビーチははっとするほど素敵です。私が映画監督だったら、この島を見つけただけで大満足して完成した気分になりそうです。
その後も、魚の多いスポットと言われればまた海にもぐり昆布のように揺られながら海の中を見続け、なんだかんだいって私達が最後までしつこく満喫していました。欧米人はすでに飽き、もっぱら甲板で日焼けに夢中です。
そして、なんだかエンジンがかかってきた私達は南の島で素敵に過ごすために新たに宿を見つけました。
竹とやしの皮でできた高床式のものすごく小さなバンガローです。目の前には白砂のビーチがひろがり、まさに夢のロケーションです。一戸一泊が600バーツ(1800円)です。
若い欧米人の集まる、かなり賑やかな地域とは少し離れている静かな海辺で、裏にはロッククライミングに最適らしい岩山がそびえたっています。ビニール袋を手に持っているとサル集団から奇襲を受けそうになったり、バンガロー前で本を読んでいると日本の蚊よりもしぶとい蚊に刺され放題です。竹のバンガローは隙間だらけなので、夜寝るときは蚊帳の中で寝ます。そして波の音を聞きながら寝ます。風情があります。
と思っていたら、湾の向かいで流れる大音量の音楽が響いてきます。かなり盛り上がっているようです。延々と続きます。そして夜中3時くらいにエアロスミスの「アルマゲドン」の曲が流れると、なんと大合唱が始まります。それを最後にようやく長い夜の幕が閉じました。ちょっと昔のアメリカの青春ドラマでも見るようなちょっと気恥ずかしい気分で眠りにつきました。

2007年12月17日月曜日

南の島


赤道付近に来ました。北緯10°ないくらいです。
これまでの宿探しの中で一番悩んだあげく、目の前のビーチの綺麗さ重視でピピ島に決めました。宿からきれいな海が見えるのが理想です。
ピピ島。2004年12月の津波の被害地でもあります。
ビーチ沿いの宿泊施設などは、津波があった事がわからないほどにぎわっています。でも少し島の内部に入ると、痕が残っています。
そして、どうやら12月下旬、以前と同じ地域に地震が起こるという噂があるらしいのです。「あくまでも噂ですが、避難経路は確認しておいてくださいね」というビーチのアドバイスをしてくれた方の話です。
たしかにピピ島ビーチ沿いの歩道には、避難経路の標識があります。 
噂とはいえ、念のために避難経路は確認しつつ、ここでは本気でゆっくりとこの旅一番のバカンスの予定です。

2007年12月16日日曜日

デラックス


久しぶりにデラックスバスに乗りました。名前だけではない正真正銘のデラックスバスです。
エアコンの効き方もデラックスです。暑過ぎず寒過ぎず。車内のサービスも飛行機の機内サービス風です。これで12時間だったら頑張れます。
というのも、タイの一番の目的はリゾートです。
リゾート地でのんびりと過ごす予定でバンコクよりもさらに南へ向かいます。
とにかく宿から見える海がきれいなことが前提です。まずは山も海もマングローブも見れるクラビーへ向かいます。
約12時間の移動の為に今日はバス泊になりますが、このバスだったら頑張れます。

2007年12月15日土曜日

福岡の人々


バンコクは暑いです。12月だというのに日中歩くだけで汗が出てきます。
やたらと立ち並ぶ冷房の効いたセブンイレブンに入ると、すっと汗が引きます。コンビニで涼むという久しぶりの感覚です。
それから道端の屋台で辛い食事をして熱くなります。
そして暑い国にもクリスマスはやってきます。街中は日本と同じように飾りつけられています。
それと、昨日のカトマンドゥからバンコクまでの飛行機は、偶然にも福岡の洋服屋さん御一行様と同じ便でした。そこで得たバンコク情報では、福岡の美容師さんがバンコクで美容室をやっているとの事でした。
気分転換と明日からのビーチリゾートに備えて夫婦揃って髪を切る事に決めました。
この美容師さん、歳は近く出身地が同じです。生まれも同じです。同郷の同郷人にタイで髪を切ってもらうとはこれもなにかの縁です。
すっかり日本人らしくなった私達は、洋服屋さんに勧められたシーフードレストランでもういらないというほどの甲殻類を食べて帰りました。

2007年12月14日金曜日

大サービス


今日のカトマンドゥからバンコクまでの飛行機は、一瞬興奮した空気が流れました。
カトマンドゥを発ちシートベルトの着用サインが消えると、一気に立ち上がって窓に近寄る人達がいます。ヒマラヤ山脈、エベレストをひと目見ようとするざわめきが起こります。私達は幸運にも窓側の席だったので大満喫です。
山というのは不思議なもので、本来あまり興味のない私でさえアルプスのふもとから山々を眺めたりトレッキングをしてみたりすると、想像以上に圧倒的な存在感に驚いたり見とれたりしてしまいます。
ヒマラヤ山脈も同じです。
ポカラから見たヒマラヤ山脈は、正直’アルプスほどではないなぁ’などと思っていました。でもそれはおそらく、ヒマラヤ山脈があまりにも大きすぎたからのようです。
ヒマラヤ山脈沿いに飛んでくれる飛行機はタイ航空のサービスだとしか思えません。
グランドキャニオンを見たり、アルプス山脈のふもとで滞在したり、そういったことと同じ位の価値ある眺めでした。

2007年12月13日木曜日

カトマンドゥで落ち着く。


ネパールは、長期旅行者がついつい滞在してしまう地域のひとつだそうです。
なんとなくその気持がわからないでもないです。
まず、物価が安いことは大きな理由のひとつです。2、300円で充分な食事をする事ができます。そして食事はだいたい安心して食べることができます。日本の味付けと似ているからです。同じアジア圏内に入ったことを感じます。キムチや浅漬けに似た漬物もあります。そしてトゥクパという汁に麺の入った食べ物がとうとう現れました。また餃子のようなモモという食べ物もあります。
基本的な味の志向が近いからなのか、こちらにある日本食レストランも評判が良いそうです。私達も日本食のお店に3度も通ってしまいました。
日本語で注文をしてなすチリ定食を食べ、そこに置いてある当日付けの読売新聞を読み美味しんぼを見て、まるで日本の定食屋にでもいるような気分になってしまいます。
そして、日本語の古本を扱う本屋に寄って帰路へつきます。
たしかにアジアへ入ってこれまでより違和感のない圏内に入った感じを受けます。ちょっと気が抜けたのかも知れません。強烈なインドを通過したので。10日あまりのインド滞在がよほど濃厚だったのか、それまでのヨーロッパの旅がはるか昔のような気さえします。

2007年12月12日水曜日

ネパールの首都


ネパールはやはり信仰心の強い所なのだと感じます。いたるところに寺院があり、多くの人が参拝しています。
そういう部分もありますが想像以上に都会的な部分もあります。
ネットが各家庭のどこまで普及しているかはわかりませんが、街中ではネットカフェのようなお店を多く見かけます。情報はかなり早いスピードで入ってきているのだと思います。
ざっと上辺だけを見るだけですが、街の印象はそんなに裕福ではありません。でも携帯電話を使っている人はそこそこいます。
後進国で有線電話をひけるのは裕福な家庭なのだそうです。コストのかかる有線電話が行き渡る前に携帯電話の方が簡単に手に入るという環境になったのだそうです。
なのでそういった部分に関しては私の勝手な想像以上にわりと進んでいるのかもしれませんが、それに対して街の在り方のギャップがあり過ぎます。 
信じられないことですが、道路の真ん中にゴミのレーンが2,30mほど続いているところがあります。そのゴミも袋に入れているのではなくそのままのゴミが道端に溢れています。もちろん異臭を放っています。そこがゴミ捨て場として定められているのかはわかりませんが、たまにゴミ収集車が回収に来てはいるようです。
また携帯電話を手にする人達の横で、貧しい子供達は目ざとく私達を狙って向かってきます。7,8歳くらいの子供達がものすごく積極的にお金やモノをねだってきます。
ネパールに対する知識が少な過ぎただけなのかもしれません。遠くにヒマラヤ山脈が見える穏やかな地域程度にしか考えていませんでした。きれいな星空は私の勝手な想像でした。
ネパールの首都カトマンドゥは夜10時を過ぎると街のあかりはほぼ消えてしまいます。それでも光化学スモッグと乾季の砂埃の為に、私達の住む街灯の明るい福岡市よりも星が見えません。
どうやら、自然が美しい後進国という私のイメージに反して、後進国だからこそのこの現状という事のようです。

2007年12月11日火曜日

神様


生き神様を見ました。まさにガイドブックに書いてあるように’2階の窓からつまらなさそうに顔を出す’姿です。
この少女はクマリと呼ばれる、聖性があるという基準で選ばれた少女です。選ばれた後は神としてのふるまい方を教え込まれこの館で暮らすそうです。国の今後をも予言してしまい、このクマリが主役を務める祭りの際には国王もひざまづくということです。
それだけ宗教に対して信仰心の強い国柄なのでしょう。今はどれだけ形式的になっているのかはわかりませんが。
というのもこのクマリ、お金を払うと見られるのです。クマリの世話人に拝観料を払うと顔を出してくれるそうです。私達はちょうど日本人団体客と一緒になったので、便乗してその姿を拝むことが出来ました。世話人らしきおじいさんに続いて、20秒ほど窓から顔を出します。たしかにつまらなそうにも見えます。少女が観光客相手にそんな役目というのもちょっと可愛そうな話です。




写真下はクマリの館の細部です。細かい木彫りがなされています。

2007年12月10日月曜日

当たり前ではないこと


やっぱり日本人なんだと実感します。
ネパールの首都カトマンドゥでの今日の宿は、オーナー夫人が日本人の渋い宿です。
部屋は程よくネパールらしいインテリアでこざっぱりとしていて、バストイレも清潔です。決め手はバスタブです。さすが日本人。求めるものをわかってくれています。
そしてひと部屋1泊630ルピー(1260円)です。
日本人が満足しそうな快適な宿。それでも、このバスタブになみなみと熱いお湯を溜めることは難しいのです。先進国以外の安宿ではよくある事ですが、宿泊者が一度にシャワーのお湯を使うとお湯が水に変わっていきます。そうなるとしばらく待たないとお湯は使えません。またお湯が出る時間帯が決まっている場合もあります。そして、水を混ぜないと熱い、というくらいの熱いお湯が出ることはまれです。残念ながらここでもお湯は貴重なものでした。
日本では熱いお湯がいつでもでてきます。でもそれが当たり前の事ではないという事です。
ポカラの宿では停電もあったし水が止まったりもしました。
トルコの日本人宿ではひんぱんに断水がありました。めったにない事という話でしたが。
インドでは、地域によっては昼間に電気が止まる時間帯というのもありました。停電も多いようで、自家発電機を備える宿やお店をよく見かけました。それがないところはろうそくです。
もしもの停電の時の為に、と買った小さな懐中電灯が想像以上に活躍し始めています。

2007年12月9日日曜日

田舎道


本当に日本にそっくりです。日本の田舎の風景のようです。
ポカラ近郊の山道をトレキングです。トレッキングというよりも、山の一本道を中心にそこに住む人達の生活の間を通り抜けながらの散歩です。
竹林も段々畑もあります。牛・水牛・ニワトリ・ヤギなどが家畜として飼われています。私達の親の世代がこの光景を見ると懐かしく感じるのでは、と思います。
そして子供達はみんなその一本道を通って通学します。人なつっこく良く声を掛けてきます。カメラに興味がある子供達がいるかと思えば、洋服を引っ張って「10ルピー」とねだってくる子供達もいます。
今日のトレッキングは初のガイド同伴です。ネパールの自然・生活・文化が見れるようにとガイドさんが選んでくれたコースです。
ガイド同伴のメリットは、下調べなどの煩わしさがないという事と現地の人ならではの素敵な地域へ行ける事のようです。
日本にはチップ文化もないし、お金を払って人に何かを頼んだりする習慣になじみがありません。なのでなかなかガイドを頼まなかったのかもしれません。
今回は一日650ルピー(1300円)です。頼むか頼まないかは、やはり内容と金額のバランス次第です。
ちなみに一人での本格的山登りの場合、山賊に襲われないようにもガイドを頼む方がおすすめなのだそうです。

2007年12月8日土曜日

ポカラの夜


部屋の窓からヒマラヤ山脈が見えます。一生の間にヒマラヤ山脈を見るとは思ってもいませんでした。
雪が残るヒマラヤ山脈が見えるネパールは寒そうなイメージでしたが、亜熱帯気候に属する暖かい地域だそうです。バナナの木のような植物もよく見かけます。グァバも育つそうです。
12月というのに昼間は長袖シャツ一枚で快適です。とはいっても夜の冷え込みは激しく、日本であれば暖房をつけるような寒さです。
でもポカラの街では暖房を用意しているお店は見かけません。飲食店でも窓を開け放したままであったり屋外の場合もあります。みんな洋服を着込んで過ごします。
宿のオーナー家族もブランケットを羽織って過ごしています。それが当たり前のようです。暖房器具というのはちょっと贅沢なものなのかもしれません。
私達の親や祖父母の世代ではそんな生活だったのかなと思います。
便利で快適な日本で育った私達にはこの寒さがこたえます。みんながとてもたくましく見えます。
そしてちょうど新月の頃なので、夜空がとてもきれいです。くっきりとした星がたくさんひろがっています。

2007年12月7日金曜日

インドのトリック


インドのトリックから抜け出せません。
怪しいと思った人はほぼ怪しいです。それを承知でバラナシからネパール・ポカラまでのバスチケットを買いました。その日に行くしかなかったので。
今回の怪しい人物。何が怪しいかというとまずこのツアー会社のボスが酔っ払っています。迷惑なことにそのボスが直々に説明してくれるのです。さらにチケットが無いのです。そして信じろと言うのです。
そして怪しいところに一度入り込むとなかなかその流れから抜け出せません。
バラナシから国境のバス、国境の宿での休憩、国境からポカラまでのバスがセットになったものです。バラナシから国境までデラックスバスに乗るという話だったのに実際に乗ったのはローカルバス。途中停車を繰り返し未舗装の道路をすごいスピードで走るものだからタイヤはパンクするし、何度閉めても振動で窓が開くし。寒い中、震えそうになりながら着いた国境は12時間後の朝8時。
信じろとは言われたものの、さあこれからどうなる?とバスから降りると、おじさんが「待ってたよ。宿へ行くぞ!」とやたら調子良くサイクルリキシャーに乗せてくれます。寒そうにしていると「チャイを飲むか?」と気を遣ってくれます。チャイを飲んでからだが温まったところでなぜか支払いは3人分私達持ちです。そして宿へ着くとなんとリキシャー代を請求してくるのです。私達はバラナシからポカラまでのすべての料金込みで支払い済みでした。でもこのおじさん、それとは関係なくものすごくスムーズに隙間に入ってきただけでした。今のところ一番スマートな詐欺師です。
そして少しでも早くここの宿で休みたいと思っていると、この宿のオーナーからポカラの宿の勧誘が始まります。ここでもまた...とあきれていると、2人で1泊250ルピー(500円)というので勧められる宿に決めてしまいました。
そして、「デラックスバスというのは国境からポカラまでのバスのことさ」と最後まで自分の嘘を認めなかったツアー会社のボス。国境からポカラまでのバスも紛れも無いローカルバスでした。大嘘つきです。
さらに8時間かけて着いたポカラ。宿へ着くと早速、紹介通りのオーナーがものすごく勝手に私達のポカラ滞在旅日程を組み始めます。もう本当に勘弁してくれませんか。という気分です。24時間の移動で疲れているし、おなかは減っているし、シャワーも浴びたいし。「考えて明日返事します」と言うと「なんで日本人はみんな考えるのが好きなんだ?10分やるからここで話し合いなさいよ」的な押し付けがましさです。
「とにかくおなかがすいてるから何か食べたい!」と言うとホテルのレストランメニューを出されて「部屋に行く前に決めていきなさい」。さらに、インドとは違ってネパール人は親切でしているんだよ的な事も。よく言えたものです。
案内された部屋は、話とは違ってテレビはありませんが特に悪くはありません。ただ、今日は暗くてわかりませんが約束通りのヒマラヤ山脈マウンテンビューなのでしょうか。この流れでは期待できません。
そして寒い夜、部屋に暖房はないし少しでも暖まろうとしたシャワーは暖かいお湯が出ません。第二回宿代え決定です。


写真上は国境からポカラまでのローカルバスです。インドのローカルバスよりもまだきれいです。

写真下が尊敬する詐欺師のおじさんです。

2007年12月6日木曜日

インドという国


私達を静かに放っておいてくれないバラナシ。でも、日の出の頃のガンガーでは神秘的な素敵な空気を垣間見ることができました。
ガンガーでは日の出とともにヒンドゥー教徒達の沐浴が始まります。
私達は朝霧の濃い中、ガンガーの対岸からの日の出を待ちます。手漕ぎのボートに乗って川へ出ます。水は透き通っているわけでもなくきれいとは言い難い濁りがあります。川の流れは感じられず、水面はぬるぬるっと光っています。川は動いていないような気配です。
日の出前、辺りは濃い霧の為に何も見えなくなります。少しずつ鐘の音や沐浴をする人達の気合い入れの声やざわめきだけが聞こえ始めます。この時だけは信仰深い人々が集まる場所的な空気が前面に出てきてているようでした。洗い流されたようなこのままの気分でいたかったのに。
この神聖と言われる川の水面上でも、私達の近くまでボートで漕ぎ着けて執拗に花を売りに来る子供達やボートの上にみやげ物を並べて団体客に接近する人達がいます。
このあたりもインドでかんじる違和感です。
このおかしな違和感。最高の違和感は、ゴールデンテンプルという1tの金箔で覆われたお寺を訪れた時の事です。入場料というのは特に必要ないようです。ただ、手荷物やカメラなどは預けてから警察官によるボディーチェックがあります。そして、敷地内には必要以上かと思われるほどの警察官が銃を持ってあちこちにいます。
私達が行き先に戸惑っていると、お寺の関係者らしき人が声を掛けてきます。「中へ入りたいのなら靴を脱いでこちらへ来なさい」そう言って家族の名前などを聞かれお経のようなものを唱え何やらお祈りしてくれているようです。そして信者がそうしているように額に赤い粉を付けられ花を持たされ、「では、100ルピー(300円)」。どこか怪しいと思ってはいたものの、すぐ近くでずっと見ていた警察官2人も何も言わないしこれは間違っていないのかも?どっち?と信じきれぬまま、手に花は持っているし額に赤い粉は付いているし。ということで、ご利益があるかもねと先へ進む為に100ルピー払います。
次の入り口へ進む時、一人の警察官が「お金を払う必要はない。払ったらダメだ。」と言ってきました。え?!今頃?見てたのならその時に言ってよ。と不信感を募らせながら先へ進むと、次の入り口では、ひとかご30ルピーのお供えの花を買わなければ中へ入れないと花売りが言います。隣の警察官もうなずきます。さっきの警察官はもうお金を払ったらダメだって言ってたのに。このあとインドを出る私達はルピーを持っていないので「10ルピーしか持っていないからいいです」と帰ろうとすると、花屋警察官ともに予想以上に必死に呼び止めます。「じゃあ10ルピーで良し!」と訳のわからないやりとでまたまた深みに入っていきます。その後はいつのまにかついて来て勝手にガイドをして指図をするおじさんに泥団子のようなものを食べさせられる、というところまでいってしまいます。ここで倒れるわけにはいかないので、泥団子を吐き出し「100ルピー、100ルピー」というおじさんに背を向けて戻りました。必要以上にいる警察官なだけに私達のやりとりはだいたい何人かが見ています。でも一人を除いては誰も何も言わないのです。なんとなく笑っている人はいます。なんなんだこの警察官達は。
神聖な場であるはずのお寺にも自称ガイドがいたり、花代やらお祈り代やら意味ある正当なものかもしれないけれども、みんなあわよくば小遣い稼ぎをしてやろうと意気込んでいます。それをとがめない警察官。
インド独特の風潮なのだと思います。ヒンドゥー教の施しに対する考え方。施しを与えると得が積める。すると来世ではもっと幸せになれるという教えは、施しを与える側と受ける側となかなかなくならないカーストの間で都合良く解釈されているような気がします。みんなしたたか過ぎます。なぜか憎みきれません。
インドはものすごく奥が深い国のような気がします。

2007年12月5日水曜日

ガンガーに集まるひと


このあたりで一番大きな火葬場、マニカルニカー・ガート。絶えず煙が上がっていているそうです。
火葬場を見に行くというのも罰があたりそうな行為ですが、死にゆく場と生活の場が共存しているバラナシではその様子を見てこそのバラナシかと思います。
そのあたりへ近づくと、「その先は親族のみしか入れない。外国人はこっち。」と声を掛けてくる人がいます。そういう情報があれば、大切なことなので’写真撮影禁止’などと同じようにガイドブックにも載っているはずです。しかし、そういったコメントを見た記憶はありません。でももしかすると本当かもしれないし、ここは悲しみの場でもあるのでそうずかずかと足を踏み入れるわけにもいきません。そう思いながらも、なんとなく怪しいその人物を振り払って先へ進みます。するとまた「その先は親族のみ。尊重してください。外国人はこっち。」と声を掛けてきます。建物の2階に上がると、自分はこの火葬場で働く者だと言って簡単な説明をしてくれます。そして噂に聞いていた薪代を請求されます。150ルピー(450円)です。
ここで火葬されガンガーに灰を撒いてもらう為に全財産をはたいて遠くからやって来る人達がいる。火葬場近くにある、死期の近い人が死を待つ為の家がある。そんな話を聞いていたので、本当に薪代として寄付されるのならかまいません。しかし、薪代のトラブルが多いという話です。この人は本当にここで働く人なのか、薪代はちゃんといくべきところにいくのかさえわかりません。
生と死のあるガンガーでは、今までにない何かかんじるものがあるかもしれない。とどこかで信じていました。しかし、この地ではそんな深いことを考えるまでに至りません。というか、そんな気分に至る前に解決していかなければならない問題が次々と湧き出てきます。お花を買ってとついて来る子供達。施しをと寄ってくるおばあさん。ボートに乗らないかと言ってくるお兄さん。薪代をお願い!と言うおじさん。誰が本当で何が本当なのかわからなくなります。
神聖な場であると同時にここにいる人達の生活の場でもあります。そこへ訪れる観光客は生活がある人達の収入源でもあります。生活の場である限りこういう状況になってしまうのはある意味仕方のないことかもしれません。
でもなんとかして静かな気分でガンガーをみつめたいものです。

2007年12月4日火曜日

聖地へ


夜行列車の窓から見える朝の景色はこれもまたインドです。
朝もやの中、ところどころに火がありその火を取り囲むように数人が集まっています。朝食の準備なのか湯気があがっています。原っぱでは、てんてんと人がしゃがみ込んでいる姿があります。朝の用足しです。そしてその向こうにくじゃくの姿を見ることもできます。
大自然のなかのインドを見て、バナラシ到着です。
バナラシはこれまでと比べると比較的排気ガスなどの大気汚染が少なそうです。そこで思いました。耐えられないのは排気ガスなどの人工的な公害臭です。生ごみや糞尿の臭いはまだなんとかなるものです。とはいってもここは聖地なだけあって(?)牛の数がとても多いです。そして道路の中央分離帯の上で、その牛糞を丸く平らな形のまま乾燥させています。ずらっと並んでいます。
この牛を動かすのに、インドの男性は気合の入った掛け声を掛けているようです。効果があるのかないのかはまだいまいちわかりません。この掛け声は牛に限らず人やリキシャーに対しても同じです。そして、細い路地にまで牛が進出しています。そこに4頭も連なって横たわられると、初心者の私達はお手上げです。回り道です。
バラナシを流れる川。ガンジス川。こちらではガンガーと言います。ヒンドゥー教徒の聖なる河です。沐浴をします。この川沿いにはいくつかの火葬場があります。お墓をつくらないヒンドゥー教徒は、ここで灰になってこの川へ流されることを幸福としているそうです。焼くことのできない妊婦や子供の遺体などは重石をつけてそのままガンガーへ沈めるのだそうです。その川の傍では洗濯したりからだを洗ったりと日常生活の場でもあるという事です。

ものすごくゆったりとした生活と川の光景がひろがっています。





2007年12月3日月曜日

夜行列車で


次の移動の為に一旦戻ったデリーの街のきれいなこと!
初日は衝撃的だったこの街に安心感さえ覚えます。ほんのつかの間ですがそう思えるようになってしまいました。でもインドのこの環境でも良いと思える日は来ないと思います。やっぱりおかしいです。
そして、ヒンドゥー教の聖地バナラシへ向かう為に夜行列車に乗ります。いつの間にか走り出したかと思うといつの間にか停まり、暗いインドの夜をじーっと走り続けます。
窓の外は真っ暗です。線路沿いでは、ところどころに人の生活の場があります。裸電球のあかりが見えます。何かを燃やす炎も見えます。テント生活の光景も多く見られます。その光景を列車の小さな窓から、列車の振動を感じながら眺めていると無声映画でも見ているような気分です。楽しいわけでもありませんが、淡々と時間が過ぎていく感じがします。
そして、列車内をまわるチャイ(ミルクティー)売りの「チャイチャーイ!」という掛け声を聞きながら眠りにつきます。


写真下はサイクルリキシャーで下校する子供達。

2007年12月2日日曜日

タージマハル!


太陽に照らされる大理石のかたまりは、確かにかっこいいです。
タージマハルは17世紀、愛する妃の為に作られた大理石のお墓です。
その門をくぐると、そこにたどり着くまでの異臭を放っていた街とはかけ離れた世界が広がります。乾燥地帯でありながら芝生も整えられています。タージマハルの裏にはゆったりとした河が広がります。オアシスにたどり着いたような気分です。
砂埃のせいなのかスモッグのせいなのか、青空の下でもくっきりとした印象にならないタージマハルは、逆に神秘的です。
建物には、草花をモチーフにデザインされたところがところどころ見られます。大理石にそのまま彫ってあるようなものだったり、色を塗っているように見えるものは色の付いた石を切り抜いてはめ込んでいるようでした。
今日は日曜日という事で、たくさんの人出です。世界的な観光地というのに圧倒的にインド人らしき人が多いです。小学生や中学生くらいの制服着用の社会科見学のような団体もいます。入場料もインド人を支えています。インド人20ルピー(60円)、外国人750ルピー(2250円)です。
それからアーグラー城。ここも頑張って芝生が整備されています。緑が豊かでリスがあちこちで動き回り、インコ・キツツキなどの鳥も飛び回っています。美しい自然保護区のようなかんじです。そんななかに宮殿がいくつかあります。16世紀のものです。
こちらの建物の特徴として、風を通す窓が多く見られます。もちろんそこにも草花のデザインがなされています。派手な色づかいはありません。ヨーロッパの建築物のような豪華賢覧な派手さはありません。でも緻密でシンプルなつくりは、その当時の権力や力の大きさを想像させてくれます。
そして天上界から下界へ戻り、今日もカレーです。この街では食の安全策として、わりと欧米観光客の集まるお店選びをしています。


写真下はタージマハルの大理石の上で走り回る子供達。みんな靴を脱いであがらないといけません。