2008年1月30日水曜日

旅が終わります。

明日、日本へ帰ります。
最後の締めは故宮博物院です。まさに中国四千年の歴史と人口の多さのなせる業満載です。
工芸品が芸術品に替わる時代背景など、調べだしたらとても奥が深そうです。
そして、ちょっと小洒落たレストランで旅の最後に乾杯をし、足裏マッサージで163日間の老廃物をとってきました。
日本が近づくにつれて、嬉しいような寂しいような気分でした。いざ終わるとなると、まさかと思うほど寂しいです。もう十分なはずだったんですけど。

2008年1月29日火曜日

お土産


この旅に出るにあたって助けてくれた人、お世話になった人、心配してくれた人達がいます。そして、これまで私達は自分達の為に生活をしてきましたが、もっと広く家族を大切にしないと、と考えました。
なので、トルコあたりから気合を入れてお土産を買い集め始めました。というか、私達の楽しい買い物欲を満たす為でもありましたが。
「買い物、楽しいね~」と言っているうちに、タイを出る頃には業者のような荷物の量です。というのもちょっと言い過ぎですが、各地で集めた品々はとても貴重です。荷物の盗難の心配をする時も、パソコンよりも何よりもお土産を盗られる事の方が大事件だと本気で考えました。パソコンは、お金さえ払えば代わりのモノを手に入れられので。
そんな大切な品々を広げてみると、ひとつひとつを買った時の事やその国の事なども一緒に思い出します。「あぁ、本当にいろんな事があったな~。」と思いに耽ります。
しかし、まだ足りない。という訳で、今日はお土産買い集めの最終段階へ入りました。
台北市内から電車で30分くらいのところに、鶯歌という陶器の町があります。
そこで、素敵なお店を見つけました。美術館で目の保養をするかのように鑑賞してきました。
それから、お茶屋さんです。お店に飾り気はないけれどもかんじが良く、みんなが日本語を話せるという熱心なお店でした。
これで買い物終了です。
そこで。私の買い物天国TOP10です。まずは1位から。

★NO1 トルコ
質の良いものが交渉しだいで安く買えます。特にネクタイ、クッションカバーなどテキスタイル系は質・デザインともに素敵なものに出逢えます。そういうお店は少ないですが、頑張ればめぐり逢えます。買えませんが、絨毯もとてもかっこ良いです。
★NO2 タイ
チープ雑貨天国。チープな割りにかわいい小物がたくさんあります。アジア1のエスニック雑貨の充実度です。また、Tシャツのデザインもアジア1。さらに、欧米旅行者がアジアへ来たら買うアジア風の洋服やビーチで過ごす為の水着まで安く手に入ります。タイですべてを調達して新たな旅行気分を満喫するのも楽しそうです。
★NO3 モロッコ
素敵なランプシェードがものすごくたくさん売られています。’ここが旅の最終地だったらば’と何度思ったことか。またモロッコの男性がよく履いているバブーシュ(皮のスリッパのようなもの)やイスラム女性が頭にかけているスカーフのようなものなど、現地人御用達のモノでなかなか素敵な品が見つかります。ちなみに絨毯はトルコよりも民族風です。 
(買い物天国と言えるのは、ここまでのような気がします。以下は根気と財布との相談が必要です。)
★NO4 イタリア
美しいヴェネチアングラス。アクセサリーから小さなグラスまで、欲しいものはいくつも見つかります。素晴らしいモノとは。というのがわかります。また’のみの市で掘り出し物なんて旅人には不可能’という考えを覆してくれた、のみの市もあります。
★NO5 台湾
鶯歌。ここでじっくりと陶器をさがすのも良いです。いつの間にか夢中になっています。’どうせ○万円か?’と思うモノが○千円だったりします。それとお茶。おなじみの烏龍茶・鉄観音なども質の良いものが日本よりも安く買えるようです。
★NO6 ノルウェー
忘れられない北欧雑貨。雑貨には目もくれない旦那をとりこにした雑貨天国です。インテリアから雑貨まですべてが洗練されています。残念ながらこの旅最高の高物価国の為、お値段もお高いです。
★NO7 ネパール
ダージリン地方に近く、質の良い紅茶が安く手に入ります。この旅一番の低物価国の為、本当に安いです。また、じっくり探すと雑貨の置き物系は少しくらっときます。鈍い光を放つ魚の骨をはめ込んだキャンドルスタンドには心を奪われました。
★NO8 ベトナム
フランス領だっただけにアジア雑貨らしからぬ香がします。チープなものからなかなかのお値段まで、値段分の満足いく雑貨が見つかります。
★NO9 香港
バーゲン中にたまたま香港へ行く人、またはバーゲン狙いで買いまくる人には納得の国です。
★NO10 アメリカ
お金持ちになったら。NYチェルシーのギャラリーで気に入った作品を買いたいです。

2008年1月28日月曜日

最後の国へ


この旅最後の国、台湾へ来ました。
あいにくの雨模様ですが、早速、小籠包を食べに向かいます。
NYタイムズ紙の世界のレストラン・ベスト10にも選ばれたという名店「鼎泰豊」。の2号店です。
というのは後で知った事で、美味しければ良いのです。
そして、中国圏内でこんなサービスを受けるとは思いもよりませんでした。
限りなく日本的なのです。
ぶっきらぼうな中国的接客は影もなく、ソフトなあたりです。店内も清潔で、トイレなどは日本と同じような充実度です。ちなみに、この旅で’トイレは日本にかぎる’と確信しました。
それから、お楽しみの小籠包。箸でつまみあげても破れない小籠包。ジューシー過ぎる肉汁ごと、口の中へ放り込みます。美味しいですね。上海の鼎泰豊よりも美味しいようです。台湾にいる間に本店にも行ってしまいそうです。
そして、よくある事ですが、出てきた目の前の食べ物に夢中で、写真に収めるのをついつい忘れてしまいます。なので、写真は’あんちまき’のみです。


2008年1月26日土曜日

ブーム


ここ香港で、行列ができているお店はほぼお寿司屋さんです。そして「日式」と書かれた日本食レストランの看板をよく見かけます。
デパ地下でも日本列島都道府県別の物産展が催されていました。
コンビ二の陳列棚では結構な種類の日本のお菓子が良い位置を占めています。
この光景は、ひいき目に見ても日本食ブームです。
しかもこのブームは、日本の地域別に食べ比べるのがポイントのようです。
お寿司屋さんにしても、メニューには’北海道派?’または’九州派?’などと書かれていて、選ぶ楽しみがあるようです。
ラーメンも、日本のインスタントラーメンがそうであるように、地域ごとの特色が売りのようです。
小さな島国日本をそうやって地域ごとにとらえてくれるなんて嬉しい気分です。

写真上。これは日本でも流行ったエッグタルト。もとはポルトガルのお菓子ですが、ポルトガル領だったマカオへ伝えられ、隣の香港まで流れてきたようです。

写真下は、フィリピン人のお手伝いさん達。日曜日になるといたるところでこういった光景が見られます。ビニールシートを敷いて道端でおしゃべりです。

2008年1月25日金曜日

戦利品。


飲茶にはついつい夢を抱いてしまいます。
たくさんのもわもわの湯気で蒸された小さな蒸し器。熱々の飲茶。少しずつ好きなものを選んで食べる楽しさがあります。デザート代わりの飲茶があるというのも楽しみのひとつです。
常に夢は抱いているものの、いつもまあまあの満足度でお店を去ることになります。
それでも懲りずに飲茶を欲してしまいます。
それが香港ともなればこれを食べないわけにはいきません。
香港へ着いて早速食べに出かけた飲茶のお店。さほど美味しいわけでもなくお店がきれいなわけでもない。なのに値段が高い。
香港でもこうなのかな。飲茶ってこういうものなのかな。と、飲茶に対する幻想を捨てようかと思いました。
しかし、やっと巡り逢いました。
しかも、ちょっと刺激が強すぎです。
まず、店内へ入った時から勝負は始まります。満席大混雑の店内で自分で席を確保しなければなりません。店内で立っている人達は、席を確保しようと目をぎらぎらさせています。そんな中、もうすぐ食べ終わりそうな人達を探し出し、傍で待ちます。中国人との競争です。
席を勝ち取ったら、慣れない作法を見よう見真似でやってみます。作法というか習慣のようなもので、自分用の食器類をお茶の入った小さな器で洗います。
食器類があまりきれいではないので、こういう習慣が生まれたそうです。昔ながらのお店では、こうして食器類を洗う人もいるそうです。今回のお店「蓮香樓」では、ほとんどの人がそうしていました。
それからついに飲茶です。飲茶を載せたワゴンがまわってくるので、その中から好きな飲茶を選びます。積まれた飲茶。近くに来る頃にはなくなっていたりと、みんなのすごい食欲ぶりが表れています。
ワゴンが近づき、とりあえず中国人に負けないようにあれもこれもと選んでしまうと、あっと言う間に満腹です。しかも美味しいです。勝手に勝利を得た後の飲茶は最高です。

2008年1月23日水曜日

買い物天国


久しぶりに都会にいます。香港です。
香港は旧正月に年明けを祝います。なので、年末年始に旅行に行っても街が休んでいないという、正月休みを利用する旅行者にはありがたい都市のひとつです。
旧正月というのは、その年によって変わるそうです。今年の旧正月元日は2月7日です。
そして、クリスマスから旧正月までがバーゲン期間です。
バーゲンといっても香港は気合が違います。高層ビルが立ち並ぶショッピングモールは買い物目当ての人で大賑わいです。そして、一流ブランドまで安くなるのです。一流ブランドともなれば、ガードマンによる入場制限を経ての入店です。
値下げ率もクリスマス過ぎから徐々に安くなっていき、旧正月前には70、80%offにまでなるようです。
但し、安くなるのを待っていては良い品はなくなります。そのあたりの自分との攻防を経て商品を勝ち取った人が、様々なブランドショップの紙袋を抱えて歩いています。
好きな人は、ここで一度買い物に狂ってみるのもありです。

2008年1月21日月曜日

密集度


これまで私達が泊まった宿の中で一番狭かったのは、ベオグラードの宿でした。
2畳強のスペースに二段ベッドが置かれています。大きなバックパックを置くと、それで足の踏み場もなくなります。二段ベッドの為の部屋です。窓なし。もちろん、バス・トイレなしです。
その次に狭いのがここ香港の宿です。
3畳ほどのスペースにベッドが置かれています。かろうじて作られた窓から見える景色はすぐ近くの汚れたビルの壁面だけです。こんなにも狭いのにバス・トイレ付きです。
香港の安宿ではこういうところが多いのでしょうか。私達の宿が入っている古いビルにはいくつかの宿が入っているようです。
香港の建物事情ならではです。
とにかく狭い土地に建物を建てるには、上へ上へと高いビルを作るしかなかった。というかんじです。
これまで訪れた都市の中でも、この高層ビルの密集度は一番です。
新しい近代的なビルはもちろん、古いビルまでもがなかなかの高さです。
そして、この高層建築物の建設か改修。どちかはわかりませんが、工事の為の足場が竹で組まれています。どんなに高くても’竹’です。この’高層’と’竹’のギャップが恐ろしいです。








2008年1月20日日曜日

続き。


香港まで寝台バスに揺られて11時間。日本に近づいてきました。
昨日までお世話になった老寨山旅館では、ごはんに鍋がつきものでした。
昨日も「ごはんですよ~」の声で部屋の扉を開けると、1階で準備されている鍋の湯気が2階の廊下にまでもわもわと漂ってきます。
そして、昨日はその匂いが鶏でも豚でも牛でもないのです。
恐れていたことは犬鍋となって現れました。その匂いをかいでしまった時点で、もう犬を食べたも同然と覚悟を決めました。
というのも、匂いというのは空気中に漂う分子を吸い込むことなので、匂いを感じた時点でからだの中に入ってきている。という、不確かで偏った私の思い込みによると、すでに犬の分子が私のからだの中に入ってきてしまった。ということになります。
覚悟を決めたとはいえ、つぎ分けてみると4切れも肉が入ってしまったことに驚いてしまいます。
犬の肉というのは鶏肉などに比べると高価なものなのだそうです。滋養をつけるために食べられるそうです。
せっかくビンサイさんが用意してくれたごちそうなので、何の肉なのか考えないようにして食べました。隣では旦那が「地鶏っぽいね」などと言ってもりもり食べています。たしかにあまりけもののような味はしません。しかし。それ以上に味わう余裕は私にはありませんでした。
犬だろうと鶏だろうと同じことだと考えようとするのですが、なかなかそうはいかないものです。
犬を飼っている人へ。’ごめんなさい!’
なんとなくです。

2008年1月19日土曜日

イヌ。


大荷物を預かってもらっていた老寨山旅館へ帰ってきました。
ここ興坪で3・6・9のつく日に開催される市場へ見学に行きます。野菜、肉、日用品、床屋さんまで出ています。
そしてついに目撃してしまいました。
犬です。毛をむしられた状態の犬の頭。そこにつながる胴体は半分さばかれていて、ちょうど量り売りされているところでした。
ついにこの時が来たと思いました。東南アジアや中国の市場を見てまわると、いつか大変なものを目にするだろうと思っていたのです。
麗江の市場でもショッキングな場面を目撃してしまいました。
その光景は、ニワトリやハトなどが生きたまま売られている一角に、わりと大きめの犬が鳴きながら引きずられて行きます。そこにあるドラム缶のようなものから湯気が出ています。そして、なんとその中に犬を丸のまま放り入れたのです。すさまじい光景に、10m程離れたところから見ていたのですが、鳴き声だけが聞こえてきていました。
それからしばらくは、肉類をたべるのを拒絶していました。
今日の市場で、その時のことを思い出してしまいました。
犬がさばかれている横では、犬の肉だと思われる料理を食べている人達がいます。このあたりでは当たり前に食べられていそうな印象を受けました。
宿に戻ってビンサイさんに伝えると、笑顔で「オイシイヨ!スキスキ!」と言います。
それから。その話をしたのがまずかったのか、今日の夜ご飯に犬を買って来たと言うのです。
大丈夫なんでしょうか私。丸のままのニワトリにはだいぶん慣れました。フランスでもウサギの皮を剥いだ状態のものが店先に並べられていたりと、日本にいるよりははるかにそういうものに慣れた気がします。
しかし。それでも夜ご飯の時間が来る事にドキドキします。



2008年1月18日金曜日

お菓子


中国での食事はとても満足しています。
それでもやっぱりお菓子が食べたくなる時があります。
そこで。中国で挑戦したお菓子のすごいこと。
クッキーの詰め合わせを買いました。パッケージの写真は5種類のクッキーが入っているイメージです。なのに実際に入っているのは4種類です。
また一方では、4種類の味が楽しめそうなパッケージ写真。中身はなんと5種類の色違いの小袋が入っています。適当すぎる。と思っているとそのすべての味が同じなのです。
予想がつかないほどの裏切りです。
そして、アーモンドとへーゼルナッツの写真が載っているチョコレート。箱の側面には「ピーナッツチョコレート」と書かれています。実際には、何のナッツも入っていない、チョコの味さえ限りなく薄い食べ物でした。

2008年1月17日木曜日

棚田で追いかけっこ


犮脊棚田。このあたりは少数民族が暮らす地域です。
家屋も木造です。昨日泊まった宿も木造です。上の階の足音はダイレクトにぎしぎしと大きく響くし、人の話し声もそのまま通ってきます。どこもかしこも隙間だらけのような気がして、寒さを一層感じます。
そして、この宿の周辺の棚田を2時間ほど散策します。遠くの方に人影が見えます。私達が近づくと「フォト、フォト」と写真撮影を求めてきます。どうやら民族衣装で観光客を待ち構えていた、少数民族のヤオ族のようです。
彼女達は一生髪を切らないらしく、長い髪が特徴です。せっかくなので写真を撮らせてもらいました。押しも強かったので。すると6人の女性がきれいに頭に巻いていた髪をほどいてクシをいれる姿を披露してくれます。そして器用にまた元のように頭に巻きつけます。20元(300円)です。
写真撮影会が終わると、今度はお土産品を売りにかかったのでその場を立ち去りました。
それからしばらく歩いて、棚田の景色を眺めようと立ち止まると、先ほどのヤオ族の女性が2人、ぴたりと後ろについて来ているのです。まだ売りにかかる気です。
彼女達から逃れ先へ進むと、またヤオ族の女性が。一本道のはずなのにいったいどうやって先回りを。と思ったら、先ほどとは別のヤオ族です。彼女達が中国人団体に狙いを定めた隙に私達は逃げ切ることができました。
ヤオ族との追いかけっこをしつつの散策ですが、その景色はこの世のものとは思えない、あの世的な空気が漂っています。棚田に水が張る季節や緑が青々となる季節はさぞかし素敵だろうと思います。
棚田のパンフレットには’天国への道’と書かれてあります。
標高1000m近くまで続く急傾斜の棚田は、なぜか不思議でどこが地面なのかわからないような錯覚におちいりそうです。

2008年1月16日水曜日

進路変更



風雨橋とにわとりがたくさんの程陽へ来ました。
風雨橋は釘を使わずに作られるそうです。なぜ橋に屋根があるのかはわかりません。このあたりの建物は木造家屋ばかりです。小さな村がいくつか集まっていて、こじんまりと田舎の集落があります。訪れて良かったです。
というのも、本来は素通りする予定だった三江の街。朝起きてバス停へ行くと、次の目的地貴州省方面へのバスはこのところの寒波による雪のために運行中止ということでした。
というわけで近場の程陽へ行きました。
村には木造の鼓楼があります。もともと鼓楼には太鼓や鐘などがあり、時報や合図を発するのに使われていたそうです。
私達が足を踏み入れた鼓楼では老人が10人ほど、炭で暖をとっていました。寒い季節に珍しい訪問客だったのか輪の中に招き入れられました。問題はその後です。言葉がわからないために会話はできず、日本人ということだけを伝えてとりあえず暖まらせてもらいました。老人達が「日本人」という言葉を繰り返し使っていることだけはわかりました。昔、桂林地方は日本軍が攻め込んできた地域だそうです。考え過ぎかもしれませんが。笑顔親善大使の旦那を先頭に、その場は和やかな空気で去ることができました。
鼓楼の修繕改修費の寄付もわずかですが納めてきたので、その鼓楼のどこかに旦那の名前が載ることになります。
それから犮脊棚田へ向かいます。TV番組「地球街道」で、はざま寛平さんが老寨山の次に訪れたところです。ものすごく急な斜面に棚田が作られています。
私達が宿に着いたのは18:00頃。すでに草木は凍っています。暖房のない部屋なので、今日は電気毛布が命綱です。

2008年1月15日火曜日

寒波


桂林よりもさらに北の三江へ向かいます。少数民族の村が多い地域を目指し、まずは三江で泊まります。
とにかく寒いです。あまりにも寒いので暖房完備の綺麗なホテルに泊まってしまいました。といっても、一泊169元(約2000円)です。たんなる中継地点の三江でこんな贅沢をするのは気がひけますが、寒さに負けてしまいました。
寒いです。私達が興坪へ着いたときからこのあたりは寒くなったそうです。林さんも興坪へ来て10年。初めての寒さだということです。
そして中国へ入ってから、ずっと寒いのでずっと同じ服を着ています。日本では、室内へ入れば上着を脱いで過ごせますが、中国では暖房はあまり使われていません。コートなどの上着を着たまま仕事をしています。するとやはり汚れやすいので、女性が上着の上からアームカバーをつけている姿をよく見かけます。老寨山旅館で料理をつくったときも、ダウンにエプロン姿でした。
慣れていないだけかもしれませんが、寒さに弱い私達です。今日はバスタブでじっくりと暖まるのが楽しみです。

2008年1月14日月曜日

ニワトリ


中国人女性の常識とまではいかないまでも、ニワトリをさばくことは魚をさばくことと同じような感覚なのかもしれません。
市場では生きているニワトリが売られているのでそのニワトリを買って帰り、私達がスーパーで見かける鶏肉の状態にしなければなりません。
ビンサイさんがさばく様子を見学させてもらいました。心臓、肝、砂ズリ、と出てくるのです。思っていたほどニワトリが暴れることもなく無事に最後まで見届けることができました。
そして、鶏肉になったところで私達の出番です。
今晩は鶏スキです。みんなで準備し、みんなでテーブルを囲み、アンパンマンのDVDを見ながら鶏スキをつつきます。この家の外に山水画の風景が広がっていることなんてすっかり忘れてしまいます。

写真下は、バンペイユ。このあたりの名産物の果物です。このまま一年間保存できるそうです。

2008年1月13日日曜日

老寨山旅館


私もこれまで32年間生きてきて、私なりにスゴイと思う人に出会う機会はいくつかありました。でもこれほど自分の選ぶ道をやり抜いている人に出会ったのは初めてです。
私達が滞在している宿、老寨山旅館のご主人、林克彦さん。
もともとは山が好きだった林さん。これまでさまざまなボランティア活動をされてきたようです。ネパールでは微小水力発電所をつくり、ヒマラヤのひとつの村すべてに豆電球電気を通したそうです。10年かけて。この事は1985年頃の英語の教科書でも取り上げられたそうです。
この街、興坪では老寨山の石段作り。また、この綺麗な風景を残す為に、川や山のゴミ拾いをしているそうです。中国だけではなく、特にインド、ネパールなどでもゴミを道端に捨てることが当たり前という光景は私達もたくさん見てきました。少しでも変えたいという林さんの想いのようです。
そして山のふもと、宿の隣には公衆トイレまでつくり、しかもその人糞を利用してメタンガス発生炉を作ったというのです。
まさに驚きの連続です。林さんには「でも」という言葉がないのだと思います。思い立ったらやってしまうのです。そんな林さんをまわりが放っておくはずはありません。一見、町場の飲み屋にいそうなおじさんなのですが(実際はあまり飲まれないそうです)、おのずと人が集まってくる存在になってしまったようです。
そして林さんが作り上げた石段のある老寨山へ登りました。よくもこんなところに道を作ったものだと何度も感心してしまいました。その山頂からの眺めは、まさに’絶景カナ’。ここからの眺めが気に入って林さんは道を作ろうと思ったのだそうです。
こんな林さんの宿での滞在は、宿に泊まるというよりも林さんちにおじゃましている気分になります。
そして今日は私達が夜ご飯をつくることになりました。ビンサイさんと喜多郎くんと一緒に市場へ買い物へ出かけます。私達だけだとぼられるので。そして、旧正月前で空き巣が多くなっているというので林さんはお留守番です。
献立は。こちらではよく見かけるマコモダケを取り入れて博多がめにを作りました。それと卵焼きとトンカツです。ちなみに私達が料理しているそのかたわらで、奥さんのビンサイさんがレンコンを煮ていました。その火の元がメタンガスだというのです。本当に感心してしまいます。
これまで特定の宿名や人物名などを出さない旅行情報に乏しいブログでした。でもここ興坪と林さんとその家族その宿について、ぜひ知ってもらいたいと思いました。
桂林へ行こうと思っている人には、ぜひおすすめの宿です。林さんちへおじゃましてみませんか?
老寨山旅館 http://www.laozhaishan.com/


写真下、奥に見えるのが林さんちの裏山、老寨山。

2008年1月12日土曜日

山水画


成都から飛行機に乗り桂林へ。桂林からバスで陽朔へ。バスを乗り継ぎ興坪へ来ました。
桂林から陽朔あたりの地域は、山水画のような景色を漓江川くだりをしながら眺められる勝景地です。
昔このあたりは海底だったそうです。そして海底が隆起し雨による侵食でこのような地形ができたそうです。
バスに乗っている間も、奇怪な山が辺り一面にひろがっています。山々の間に町があるといったかんじです。
そして、この区域の中に興坪はあります。中国の紙幣、20元札にはここの風景が描かれています。
今回の宿は、日本人のご主人と中国人の奥さんが経営するところです。中国語と日本語を上手に操る4歳の男の子もいます。
着いて早々、ごはんをいただきました。テーブルを囲んで、色々なお話を聞かせてもらうことができました。
この宿の裏山。裏山といっても、このあたりの風光明媚な景色をつくる山々のなかのひとつです。その標高は220mですがとても険しい山に石段をつくり頂上に友好亭という休憩所を作ったのもこの宿のご主人なのだそうです。
そんな方なので、中国、日本とテレビの取材もいくつかあったようです。なので、ご自分でも言われていましたが、このあたりでは有名人です。なのに、飾ったかんじや傲慢さや圧迫感などがまったくありません。奥さんもケラケラケラと笑います。お子さんは宿の子ならではの人見知りを知らな人懐っこい可愛い子です。
とてもあたたかいところにたどり着いたようです。

2008年1月11日金曜日

大熊猫


パンダは四川省に一番多く生息しているそうです。
というわけで、パンダ繁育研究基地へ行きました。ここは絶滅が危惧されるパンダを繁殖育成させるための場所です。
とても広い敷地にパンダが悠々と寝転がりながら笹を食べ続けています。その姿を見ていると、これじゃ絶滅してもおかしくないかなと思ってしまいます。
何の危機感も感じずにただひたすら笹を上手に束ねて食べています。仰向けに寝そべって笹を食べる姿は怠惰以外のなにものでもありません。
でも憎めない顔とのそのそとした動作で、私達の前で笹を食べ続けてくれます。
そしてこの時期は、夏に生まれた子パンダの運動の練習が見られました。木登りの練習など、飼育係りの人に付き添われての練習です。
すでにこの時点でダメな気がします。自分で木登りを覚えないパンダ。
大きくなったら、ずっと笹を食べ続けるのでしょう。もう可愛いのでそれでいいです。

2008年1月10日木曜日

大仏


世界一大きな大仏、楽山大仏。
成都の南164kmの楽山にあります。
この大きな大仏は、岩山を彫り出してつくられています。90年の歳月がかけられています。
座った姿勢ですが、その高さは71m。
そのあたりの川の氾濫を鎮めたいという願いを込めて作り上げられたそうです。
この大仏を足元から見上げてゆっくり歩くと、テレビ番組の「世界遺産」を見ているようなぬる~っとした動画に見えてきます。
あたり一帯が霧に包まれ、湿った冷たい空気と苔むした匂いは、期待通りの中国らしさです。
そしてその氾濫を鎮めたかったという川。その流れも気品があります。悠久という言葉は中国の自然を表わすためにあるような気がします。
そして、またバスで2時間。成都へ戻り、麻婆豆腐の元祖といわれる’陳麻婆豆腐店’でまたまた辛い四川料理を味わってきました。山椒の痺れる辛さと唐辛子の熱さと油と。そろそろ限界です。

写真上が世界一大きな大仏。画像を大きくすると右端に旦那が現れます。

2008年1月9日水曜日

四川料理


移動続きです。麗江から成都へ飛行機で移動です。
しかも、5時間遅れの出発となりました。
その間、中国人たちは大騒ぎです。空港職員を取り囲んで何やら怒っています。
飛行機が遅れた理由は私達にはわかりませんが、中国人たちは容赦なく激しく何かを訴えています。
するとお弁当が出てきました。
赤ら顔でプンプンと怒っていたおじさんは、お弁当を食べるととたんに落ち着き、今までの激しさは嘘のように静かないびきをかきながらひと眠りしてしまいました。
また、先頭に立って怒っていたお兄さんは、お弁当の列に並ぶと今までのことはなかったかのように笑みがこぼれています。
お弁当の力でその場は一件落着です。
そして、あの待ち時間に対してあっという間に四川省の成都へ着きました。
辛い四川料理。さっそく火鍋を食べに行きました。
まず店内に入ったとたんに、充満している唐辛子に染まった空気を吸い込み、咳き込んでしまいます。
半分はトンコツスープのような鍋。もうひとつは激辛の鍋。それをごま油につけて食べます。
唐辛子と山椒のたっぷりと入った赤い鍋は辛さと山椒の刺激で舌がしびれてしまいます。美味しいと感じるようなすきを与えてくれまん。
食べ進むうちにつけだれ(ごま油)も辛くない方の鍋も辛み成分におかされてきます。もう何を食べても無理。
と思うかたわらでは、中国人たちが別添えの唐辛子までも用意し、つけだれを真っ赤にして豪快に飲んで食べています。
空港でのあの熱さの源はここにありです。

2008年1月8日火曜日

寝台バス


素敵な麗江をあとにして昆明へ向かいます。
今回の寝台バスの席は、最も過密地帯の後ろ部分です。
バスの車幅に5人で寝なければいけません。気を抜くとどこまでも進出してきそうな中国人に押され気味で、ぎゅうぎゅうになって寝る私と旦那。ともに思うことは「インドじゃなくて良かった」。救いの言葉なのかそうでもないのか、はっきりしない励ましあいの言葉です。

2008年1月7日月曜日

中国人


中国の河、長江。その上流にある長江第一湾を見てきました。川が大きくカーブしているところが観光スポットのようです。
日本から来た私にとっては、長江の一部を見られただけで貴重です。
参加したツアー同行の中国人達は、ボートで長江川下りを楽しんでいました。
そしてこの長江の上流沿いにある大峡谷、虎跳峡。峡谷の間は狭く、川の流れはとても激しいです。
またこの激流を見るためにつくられた道というのが気合が入っています。峡谷の岩肌をえぐって削り、観光用に歩道がつくられています。いたる所にがけ崩れの跡があります。私達は、くすんだ若草色の服を着た警備員から見張られています。写真など撮らずに立ち止まらないで歩くことと、崖っぷち沿いではなく山側の壁沿いを歩くように注意されます。
もしも、がけ崩れが起きた時の事を考えての注意喚起のようです。
中国の大自然は静かなようで激しく雄大で、パンダや虎がすぐそこにいても不思議ではないような気がしてきます。
そしてこのツアーに参加していた、ある中国人一家。バスに乗り込んだとたん、みんなで激い剣幕でまくしたてます。中国語は分かりませんが明らかに怒っているようです。
代わる代わる誰かがしつこくガイドさんに文句を言っているようです。
雲南省の昆明と麗江。今回訪れて、中国人のイメージが変わりましたが、やはりこの一家の方が大多数優勢なのかと思ってしまいました。