2007年12月6日木曜日

インドという国


私達を静かに放っておいてくれないバラナシ。でも、日の出の頃のガンガーでは神秘的な素敵な空気を垣間見ることができました。
ガンガーでは日の出とともにヒンドゥー教徒達の沐浴が始まります。
私達は朝霧の濃い中、ガンガーの対岸からの日の出を待ちます。手漕ぎのボートに乗って川へ出ます。水は透き通っているわけでもなくきれいとは言い難い濁りがあります。川の流れは感じられず、水面はぬるぬるっと光っています。川は動いていないような気配です。
日の出前、辺りは濃い霧の為に何も見えなくなります。少しずつ鐘の音や沐浴をする人達の気合い入れの声やざわめきだけが聞こえ始めます。この時だけは信仰深い人々が集まる場所的な空気が前面に出てきてているようでした。洗い流されたようなこのままの気分でいたかったのに。
この神聖と言われる川の水面上でも、私達の近くまでボートで漕ぎ着けて執拗に花を売りに来る子供達やボートの上にみやげ物を並べて団体客に接近する人達がいます。
このあたりもインドでかんじる違和感です。
このおかしな違和感。最高の違和感は、ゴールデンテンプルという1tの金箔で覆われたお寺を訪れた時の事です。入場料というのは特に必要ないようです。ただ、手荷物やカメラなどは預けてから警察官によるボディーチェックがあります。そして、敷地内には必要以上かと思われるほどの警察官が銃を持ってあちこちにいます。
私達が行き先に戸惑っていると、お寺の関係者らしき人が声を掛けてきます。「中へ入りたいのなら靴を脱いでこちらへ来なさい」そう言って家族の名前などを聞かれお経のようなものを唱え何やらお祈りしてくれているようです。そして信者がそうしているように額に赤い粉を付けられ花を持たされ、「では、100ルピー(300円)」。どこか怪しいと思ってはいたものの、すぐ近くでずっと見ていた警察官2人も何も言わないしこれは間違っていないのかも?どっち?と信じきれぬまま、手に花は持っているし額に赤い粉は付いているし。ということで、ご利益があるかもねと先へ進む為に100ルピー払います。
次の入り口へ進む時、一人の警察官が「お金を払う必要はない。払ったらダメだ。」と言ってきました。え?!今頃?見てたのならその時に言ってよ。と不信感を募らせながら先へ進むと、次の入り口では、ひとかご30ルピーのお供えの花を買わなければ中へ入れないと花売りが言います。隣の警察官もうなずきます。さっきの警察官はもうお金を払ったらダメだって言ってたのに。このあとインドを出る私達はルピーを持っていないので「10ルピーしか持っていないからいいです」と帰ろうとすると、花屋警察官ともに予想以上に必死に呼び止めます。「じゃあ10ルピーで良し!」と訳のわからないやりとでまたまた深みに入っていきます。その後はいつのまにかついて来て勝手にガイドをして指図をするおじさんに泥団子のようなものを食べさせられる、というところまでいってしまいます。ここで倒れるわけにはいかないので、泥団子を吐き出し「100ルピー、100ルピー」というおじさんに背を向けて戻りました。必要以上にいる警察官なだけに私達のやりとりはだいたい何人かが見ています。でも一人を除いては誰も何も言わないのです。なんとなく笑っている人はいます。なんなんだこの警察官達は。
神聖な場であるはずのお寺にも自称ガイドがいたり、花代やらお祈り代やら意味ある正当なものかもしれないけれども、みんなあわよくば小遣い稼ぎをしてやろうと意気込んでいます。それをとがめない警察官。
インド独特の風潮なのだと思います。ヒンドゥー教の施しに対する考え方。施しを与えると得が積める。すると来世ではもっと幸せになれるという教えは、施しを与える側と受ける側となかなかなくならないカーストの間で都合良く解釈されているような気がします。みんなしたたか過ぎます。なぜか憎みきれません。
インドはものすごく奥が深い国のような気がします。

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